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センチメンタル・ドラッグ

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「ケニー、おい、ケニー。おい! 出て来いよ貧乏人!」
 9歳のころ、高めだけれどハスキーなその声が、ついに裏返るまでシーツから出て行かなかったのは、ただ単にゲームに夢中になっていたり、上着が見つからなかったり、腹が減って動けなかったり、そんな理由からだった。 だからゲームオーバーしたら、上着をベッドの下から引っ張り出すか極寒の中シャツ一枚で出かける覚悟を決めたら、とりあえず自分の鳩尾に一発くれてやって空腹感を麻痺させたら、大人しくドアに向かったものだ。
 今思えば随分と従順なもので、そこだけは今も変わっちゃいない。僕は今だって“友達”に従順だよ、カイル。
 そう、ただ今は、ああ、そうだな、ええと……なんだっけ……

「ケニー! おいこら、いい加減出て来いっての、このアル中!」
 そう、7年経って、俺はただのプアホワイトからアル中のプアホワイトに成り下がった。まあこれは予定調和というやつなのだけれど、遊びたい盛りの幼馴染たちは相変わらず人工のまどろみに溺れる俺を呼びにやって来る。それについては、別に嫌なわけではなくて、むしろ嬉しいくらいだけど。
 だから、「ちょっと待って」、その一言を言わないのではなく、言えないのだ。二日酔いで体中がだるいし、動かない。動かす気もおこらない。カイルの声がしっかり脳みそに届いているのは、目と違って耳には瞼が無いからだ。思春期を過ぎても相変わらず高くてハスキーなカイルの声は、二日酔いの頭をズンズンと突き刺してくる
 ああ、二日酔いでさえなければなあ。カイルの声をずっと聞いてたいよ。って、二日酔いでないときなんてねえじゃねえか、これってカートマンぽい突っ込みだ。いや、うええゲイだな、って言われて終わりか。
 二日酔いを治してくれるのは唯一アルコールだけだけれど、最悪なことにもうこの家にあるアルコールを含む液体はおふくろの激安香水と兄貴のヘアスプレーだけだ。前者は多分もう親父が飲んじまってる可能性大だし、残ってたとしてもおふくろに殺されるのは御免だよ。後者はいっぺん飲んでみたら文字通り死んだ(89回目の地獄だった)。
 そんなことを考えながらいつもの目覚めへの絶望に溺れていたら、すぐそこまでカイルが缶や瓶を蹴り飛ばし踏み潰しながらやって来ていることに気付いた。なんてこった、カイル、扉のすぐ手前に昨日俺が吐いたゲロがあるのに!
「おいケニー! あとちょっとでお前のゲロ踏むとこだっただろ!」
 ああ良かった、踏んでたらまた殺されてたかも、って安堵のため息を吐いている俺の真横にカイルが進んでくるまで、数秒もかからなかった。
「勘弁しろよ、また二日酔いかよ、このクソアル中。お前、親父より酷いゴミ野郎だな」
 そんなことを言いながらも、カイルはいつもここに来るとき普通は持ち歩かないような1リットルペットボトルのミネラルウォーターを手にぶら下げていて、未開封のそれを開けるとおもむろに俺の口に突っ込むのだ。
「おもしれぇー、ぶくぶく言ってら」
 へへへ、と笑ってからペットボトルをひとまず口から外し、今度は顔面にドボドボ。冷たい。どうやら今さっきまで冷蔵庫で冷やされていたみたいだ。
「うわ、ゲロくさ! これじゃ飲めないだろ! これはお前にやるからさあ、とっとと起きろよど貧乏」
 そう言いながらカイルは遠慮なんて欠片も無く俺の顔面をバシバシ叩いた。
「んー……起きる、起きるから」
「ったく、お前のせいで遅刻だよ。スタンとカートマンはとっくに行ってるんだぞ」
「……行ってるって、またうっすいビール飲んで猥談するだけでしょ? しかも男だけで。ゲイだよ」
「ゲロまみれのお前と2人っきりでいるよりはよっぽどゲイじゃないだろ。ほら、さっさと服着ろって」
「わかった、わかったから煙草取って……」
「アル中の上にヤニ中かよ。救えない中毒野郎だな」
 カイルが俺を罵るときの口調って、12のときに見たSM系のAVに出てた女とそっくりだ。ちなみにそれは、気が強い女王系の女をやたらチンコがでかくて腕にモリモリタトゥーが入ってる筋肉ムキムキで明らかにどSって感じの男が犯して調教して更に犯しまくるっていう内容だった。
 ゲイだけど、バーで迎え酒っていうのもなかなか魅力的ではある。金は……まあ、何杯分かなら上着のポケットに入ってたはずだ。それにどうせ酒を買いに出ないことにはどうしようもない。
「ロシア人はさあ、貧乏でウォッカが買えないから工業用アルコール飲んでバタバタ死ぬらしいぜ」
 それに近しいことをやって死んだことがある人間を目の前にしていると知っているのかいないのか、カイルはニヤニヤ笑いながらそんなことを言った。
「ちょっと賢いロシア人は、自分でクソまずい酒を醸造して飲むらしいけど。お前もそうしろよ、ロシア人より貧乏なんだからさ」
 醸造は一度してみたけどあんな気の長いことしてられる奴はアル中とは言わないんだよ、っていう反論は煙と一緒に吐き出しておいた。まったくあれは、イライラしすぎて死に掛けたくらいだからあまり思い出したくはない。
「……なんか、いつもより意地悪だね? カイル」
「ゲイっぽい言い方すんなよ」
 ムッとしながらもあながち間違いじゃなかったようで、カイルは俺の吐く煙を避ける振りをして顔を背けた。
「……昨日、どっかのオヤジのをコイてたろ。手で」
 “手で”っていうのを強調して言ったのは、『それ以外はしてないよな?』っていう意味だと思うのだけれど、残念ながらそのあと追加料金を取ってフェラもした。まあ、それはどうでもいいとして。
「見たの?」
「……見たかなかったけどな!」
 勿論、カイルが見たものは間違いでもなんでもない。俺はおっさんのアレを手で扱いて一度イかせた後、もう一度今度は「インランなメスネコめ」って罵られながら口でした。「ミルクちょうだいニャー」なんて寒気がする台詞を自分から言ったのはちょっとしたオマケ。サービス業ってのは、さりげない心遣いが次への繋ぎになるからね。で、上着のポケットの金ってのはその報酬で、二日酔いの原因ってのはそのおっさんに買ってもらったバーボンだ。
「ほんと、これだからアル中ってのは、……しょうもないな!」
 バシン、と俺の軽い(今は二日酔いで重い)頭をカイルは思いっきり引っぱたいた。
「いて」
「ほら、もう立てよ。遅刻するとカートマンの奴が鬱陶しいだろ?」
 ねえカイル、むすっとした横顔が、たまらなく好きだよ。ゲイっぽい意味でさ。