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大事なことは

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「空が暗くなる前に、どうしても来たかったんですよ、ここに」

神社にそびえる鳥居の前。そのすみっこにふたりはしゃがみこんでいる。縮こまった窮屈な姿勢がたたり、歳三の声は小さくなった。

「誰が祭に来たことを責めたよ。聞きたいのはそこじゃねぇ」

歳三が憤っているのには理由がある。ほんの半刻ほど前のことだ。祭に向かう人にまぎれ歳三が鳥居をくぐろうとすると、惣次郎が立っていた。むろん立っていただけならどうということもない。夕暮れ前から近燐の子供とはしゃいでいるなど予想がついている。神社がにぎわい行灯と提灯の光に包まれるのは、夏であるなら今日一日だけだ。

聞きたいのは、『遊びほうけていた』 という報告ではなく、先ほどから顔をしかめ、左手で鼻を押さえている原因についてだ。
惣次郎の着物には結構な量の血が滲んでいて、ちょうど胸辺りに散っていたものだから、もしや闇討ちに遭ったのかと駈け寄った。ところが惣次郎はのんきなもので、これ私の血なんですよ、と苦笑いする。情けないがほっとして、しゃがみこんでしまった。がくりとひざを折った歳三にならい、惣次郎も座り込み、ひざにひじをあて頬杖を付いている。

「もうっ、せっかちなんだから。ちゃんと話しますよ。……暗くなる前着いたからまだ人少なで、手持ちぶさたになって夜店が出来るのを見ていたら、このお面があまりに可愛くて」
「……買っちゃったのか」

そう、と頷く惣次郎の腕には狐の形をした面がかかっている。おどけたようなとぼけたような微妙な表情の面は、愛らしい形容から遠くはなれたところにある。可愛いとの弁に頷く者など、十人中一人くらいではなかろうか。美意識を疑うことを禁じえない十人のうちの一人当人は、面の横についた紐を右手でひっぱり自分の顔に重ねた。

「ほら、可愛いでしょ?」
「可愛い可愛い。……それで? はやく最後まで話せ」
「……」

でかい図体に微妙な顔がのったところで、可愛くなるわけないではないか。むすっとしたまま先を促す歳三に、惣次郎は言葉を重ねた。

「被って気がついたんですけど、これ、目に穴が開いてないんです。でも、まあなんとかなるかと歩いていたら、鳥居が目の前にあって……」
「ぶつかったんだな」
「うん。しかも顔から」
「今に始まったことじゃねえが、……おめぇ、バカだろう」
「……ひどい。今、本当にバカって思いながらバカって言ったでしょ!」

バカにバカと言ってなにが悪い。歳三には憎たらしいほど隙を見せないくせに、どうして目を離した途端鼻をぶつけ、血まで流しているのだか。惣次郎は歳三を「突拍子もない人」とからかうが、その言葉をそっくり返してやりたい。惣次郎も歳三も、突拍子がないと言う点で似たもの同士だと思う。
歳三はしびれたひざを伸ばし立ち上がり、しゃがんだままの惣次郎の腕を引く。不浄で境内に上がれなくなってしまったのだから、帰るしかない。

「歳三さん、私のことはいいですから」

当たり前のように惣次郎に付き添う歳三に、観て行くつもりで来たんでしょ? 促されるままに立ち上がった惣次郎は、ほら、と光の向こうを指差した。あなただけでも逃げて! などと、どこで見たのか芝居じみた真似まで付け加え笑っているが、顔に手を当てたまままじめな場面をなぞられても、間抜けなだけだ。

「構わねぇよ。とりわけ観たいもんもねぇし」

惣次郎に嘘をついたつもりはなかった。そもそも祭自体、惣次郎がいると見当をつけなければ足を向けていなかった。ひとりで観るくらいなら、付いて帰ったほうがましだ。早く来いよ、手のひらを挙げて指を泳がせると、惣次郎はひょいと横に並んだ。追いつくと鼻の頭を押さえたまま、今度はこぼれ笑いで肩を震わせている。

「痛いくせに笑うな」
「だって鼻血はかっこ悪いですけど、その甲斐があったなあと思ったんですもん」
「……甲斐、ね」

まるで禅問答だ。けれど、言いたいことはわからないでもない。単純な男だ。惣次郎を優先し、残ることに少しの未練も残さぬ歳三に喜んでいる。そんなの、当たり前すぎるくらい当たり前であるのにだ。
本当にバカだ。くだらぬ理由で怪我をする惣次郎も、くだらぬ怪我のせいで来た道を返す自分も。
……かっこ悪くて嫌になると、たいして嫌でもない様子でおおげさにため息をつく惣次郎が、微妙な狐の面より数倍可愛いと思えてしまう気持ちも。

「血が止まんない……」
「本当にバカだな、おまえは」
「あ。……今のバカは、もっと言ってもいいですよぅ」

柔らかくなった声音に気づき、惣次郎は手渡された懐紙を顔に当てたまま目を細める。まだ血が止まらないとごちる口調は、どこか満足げだ。
あばたもえくぼとはよくぞ言ったものである。ちゃっかり口車に乗る惣次郎がくすぐったくて、どうしてもわらってしまう。大事なことは、惣次郎が惣次郎であるということで、そうであるならかっこ悪かろうが突拍子なかろうが、なんでもいいのかもしれない。

鼻血などに教訓めいたものを訓じられるとは思わなかった。でもできるなら、次はもう少しまともなものにしてくれと祈ってみる。惣次郎に求めるだけ無駄なのかもしれないが、……いくらなんでも、色気がなすぎる。
作品名:大事なことは 作家名:みお