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夏と逢瀬

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 右側から流れていく涼しげな風。渦巻くように蝉の声が駆け巡り、小川の流れを遮るような木枝のさざめきが穏やかな夕暮れを告げている。少し霧がかったような、いつもより緩やかな日の入りは、夏空をどこか、冬のそれのように見せていた。
 手を引いて歩く風丸の後ろ姿を追いながら佐久間は、その温もりが汗を滴らせていても不思議と不快な思いは起こらなかった。今の空より青い風丸の髪は、雲一つない夏の昼空のようで、キラキラと光を反射していた。途端、くらりと眩暈を起こした佐久間は揺れ動くその髪の波に涙腺が潤んではその手を強く握りかえした。
 信号すらない道を、少し早い風丸の歩みにあわせて歩く。佐久間の肩にかかった荷物が控えめに揺れている。やがて木々に囲まれた小道を抜け、道路を横切ると木造の橋が見えてきた。そこを渡り竹林を左手にちらほらある住宅のうち、目に見えて大きいものの敷地へズカズカ入っていく風丸に、佐久間は僅か驚いた。

「どうぞ」

 片手で器用に鍵を開け、玄関で佐久間の手を放し、サンダルを脱ぎ捨てた風丸は中へ入っていき、薄暗い部屋に電気をつけていく。

「お邪魔、します」

 すごすごと入っていった佐久間は、建ててからそんなに経っていないであろう内部を見回した。玄関から一本続く廊下の向こう、右へ曲がった所から風丸の呼ぶ声がする。鍵を締めて声の方へ歩いていく。

「ここ、何なんだ?」
「叔母さんの別荘」
「なんでこんな所に別荘」
「都心に出やすい、自然がある所、が良かったらしいから」

 夏休み、部活もない僅かな期間に、山のように出た宿題を片付けようと思い立った佐久間は、一人でこなすのを三日で諦めていた。部活がない休みなど、この一週間の他、始業式前の一日くらいしかない。この量をその数日間、または激しい部活のあとにやりきるのは骨が折れる。誰かと分担しようと思うと、一番に浮かんだのが風丸だった。鬼道はきっと一人でやりきってしまうだろうし、その他はまだ馴染んでいない面々だったり、分担というより教えなくてはならなくなりそうだったり。やはり風丸だと確信し、佐久間は通話ボタンを押した。
 事情を話せば快諾してくれた風丸だったが、なぜか泊まりがけの準備をしてこいと言う。風丸の家に泊まったことはあったので深く考えずに首肯したあと、更に彼は都心から電車で一時間弱の駅へ来いと言われた。疑問符を浮かべながらその、塀もないホームに降り、二つしかない改札を抜けると、数日ぶりの風丸がいた。そして手を引かれて今に至る。

「いいのか、勝手に使って」
「バイトでさ、掃除を頼まれてるんだ」
「掃除?」
「叔母さんたち、今年は海外らしいから。あぁ、掃除自体は昨日の内に終わらせたぜ」
「昨日からいるのか?!一人で?!」
「そうだけど?何か飲むか?」

 冷蔵庫を開けながら平然と風丸は答えた。強靱にもほどがあると思考しながら佐久間は口をあんぐりあけた。こんな、しばらく人がいなかった広い家で、街灯も少ないなか一晩過ごすなど、佐久間には考えられない。

「でも昨日の夜変な物音がずっとしてたから、佐久間が来てくれて助かったよ」
「ッ!!」
「冗談。佐久間は怖いの苦手か?」

 二つのコップにお茶を注ぎ、風丸はその一方を佐久間に差し出した。むくれながら受け取った佐久間は、顔色一つ変えずに嘘をつく風丸を意地悪く思った。

「苦手じゃなくても多少怖いだろ」
「手、繋ぐか?」

 と言いながら両手を広げている風丸に、更に膨れた佐久間は冷茶を飲み干すのに専念した。

「じゃあ俺、買い出し行ってくるから。最近ここら辺をスパナとかノコギリもってふらついてる奴いるらしいから鍵かけて注意しろよ」

 流しにコップを置いた風丸はポケットの財布を確認すると、さっさと踵を返してしまう。また嘘だと分かっていても途端に不安になってしまい、佐久間は立つ瀬がなくなった。
既に歩き出した風丸に後ろから抱き付いた佐久間は相手の顔を覗き込んだ。

「怒ってるのか?」
「怒ってない」
「じゃあ何で、そんな意地悪いこと」
「………」

 押し黙った風丸は途端に振り返って佐久間を抱きしめ返す。首筋に顔をうずめ、くつくつと笑った風丸は「久し振り」と放った。

「たった三日だろ?」
「夏バテしてないか心配だったんだぜ?」
「ガキじゃないんだから」
「いや、俺が会いたかっただけ」

 顔を上げた風丸の、優しい笑顔に僅か紅潮しながら、佐久間は近付いてくる唇に瞳を閉じた。
暗くなり始めている辺りでは、ヒグラシと蝉が競って鳴き声をあげている。



作品名:夏と逢瀬 作家名:7727