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見えねども 凍みる星

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愛の言葉を呑みこみながら、それより容易く伝わる方法があるのだと自覚するために。

今夜は少々趣は違う。
だが、自分の口唇にのせられた此の心を受け取り給えと、辰馬は目を閉じた。
触れぬか触れるかの間際に、微かに陸奥の口唇が動いた。
その気配。
夜の闇、月の影。ざわと木々が泳ぐ風。


辰馬の動きを止めさせたのは、微かにあいた口唇からもれた微かな声。
此の距離でなければきっと聞き漏らしていただろう。
ぴたりと動きを止め、なんだと耳を澄ます。

目を開け再び夜に目を凝らす。



「か、」
















「あさ、ま」


























遠くから強い秋風が足音を立てながら此方へ向かう。
障子の桟を叩き、木々の枝を揺らし、我が心を弄った。

月影だけは揺れずそこに在り続けて、陸奥の上に掛かる自分の影も微動だにせぬ。
動揺しているのは内側で、布団の上に着いた手は歯痒く握り締めることも出来ず自らの重みを支え続ける。

かあさま。

そう、童子が言うような呼びかけを。
今は亡きご母堂を、彼女は確か母上と呼んでいた筈。

子供の頃の夢でも見ているのか。
そう思えども。
どういうわけか陸奥は眉根にしわを寄せた。
苦しいような顔をして、息を吸い込もうとするのに巧く飲み込めぬような。
口唇の微かな戦慄き。

そして。







「あにうえ、さま」








開いた口唇からは確りとした声は漏れることはなかった。
閉じられた目からみるみる透明なしずくが清水のように湧き出して、一筋涙がこぼれた。
頬を伝い、まるで流星のように闇に消えた。

短く息を吸い込むような。
そう涙の前触れが、すぐそこにある。


蒲団の下で陸奥の手が動く。
何かを掴もうとした温かく白い手が、何も無い闇へと高く伸びる。

誰を追い、何を求め。

そこには何も無いのだ。
もう、そこには。


気がついたときにはその手を取り、強く握った。
空を虚しく掴もうとするその手を
やわらかくて小さな、女の手を。



「陸奥」



名を呼んでやる。
出来るだけ小さく。


お前がきっと、そう優しく呼ばれていたように。



とうゝゝと湧き出る涙が枕を濡らす。
左手だけでは、お前の涙を拭ってはやれない。

答えないことに苛立ちと寂しさを覚えながら、
握り締める手の力と、声を。
強く強く、とどけとどけと祈りながら。






「陸奥」





「辰」







うっすらと目を開けて陸奥は不思議そうな顔で此方を見た。
ここはどこだろうと言うように、部屋の中を見渡す。
だがいつもと同じ離れだと分かったのに、
把握できぬ事態に心もとなく夢の狭間に居た頭を巡らせる。

「なんでおんしがここに」

何故か握られた手を見ておやという顔をしたから、
おんしが掴んだちやというように笑えばすまんといった。
いつもならにべも無く離しやと振り払う筈なのに、指は弱弱しく握り返した。

 何かを確かめるように。




「声が、聞こえたが」


まさか正直に話すわけにもいかぬ。
そう嘘吹いた。



「あぁ、すまん。おこしたがか」


身を起こそうとしたがいやいいと制す。
何故手を握っていたのか分かっていないようで、首を傾げながら手を離す。
名残惜しかったが、その手を放した。

離れた手で眦を拭う。
たぶん無意識に。


「あしは何か言うちょったか」

さぁ、わからん、首を振る。
ほがに大きな声やったかと問われたが、笑って誤魔化した。
月を観に外に居たと言えば、ああ今夜は満月ながと影が濃く映る障子を見た。




「まぁなんとものうて、よかったちや」



ゆっくり寝やと肩まで蒲団を掛けてやる。
陸奥はそれ以上聞かなかった。
おやすみと言い、背中でありがとうという声を聞く。
振り返ったときにはもう彼女の目蓋は閉じられていた。

寝返りを打ち背を向けたのを見てから、襖を閉めた。















足の裏に触れる畳の冷たい感触が季節の変わり目を教えた。
あの夏はとうに過ぎ去り、秋は深くなり次の季節へ。
家族を、郷里を失った陸奥は最後に母を失った。

そう、あれは夏の終わり。
もう随分前のような気もするけれど、そうまだ二月も経ってはいない。

自分の愚かさを恥じながら、少々ばつの悪い思いをしながら冷えた足の爪先で脛を掻いた。

これから冬が来る。また季節を捲る。
寒くて寝られない季節になるのだなと、腕を組んで袖に手を入れた。

庭に近い廊下を歩く。

最近入れ替えた硝子戸の向こうに夜の庭がある。
今宵は満月が美しい。
星が見えぬ空。

月光の光で見えぬ星たち。
皆こぞって燃え尽きたのだろうか。
夜の闇を滑るように、見る者もいない幕間に。
あの娘の頬を伝った、幾粒もの涙のように。




みしり。
床板が軋む。




クソ、溜息交じりに出た罵倒の言葉は心弱く、小賢しい己が欲望を恥じた。
あがなおなごを抱けるか。




此の手が包んだ手のなんと小さかったことよ。

握り返した力の心細さよ。

絞るように涙をこぼしたあんな娘を。






木枯らしが木々を揺らす。

青白い月光が万物を平等に照らしている。
ぼんやりと遠くまで見える世界。
唯一動かぬ月の影に、見送られた。


辰馬はひそかに祈る。

凍みてさざめく屑星が、今宵はもう燃え尽きぬように。
希の託せぬ流星が今宵あらわれぬようにと。



男は本気になると臆病になり、女は本気になると大胆になるらしいですよ。
坂陸奥はその典型で。
ちなみにあぁこりゃいかんということで此の頃から坂本は女遊びに精を出し、
此のあとに続くのが芋を焼く話に繋がります。

あと冗談っぽくっ書いちゃいますが、
夜這いの一件は大学で習ったり本で読んだりしたことなので嘘ではない筈です。
お前どんな学校行ってたんだよぉォォォと言うツッコミはナシでお願いします☆

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作品名:見えねども 凍みる星 作家名:クレユキ