紅蓮
派手に軋みをあげるベッド。
絶え間なく響き渡る嬌声。
薄暗く、四隅には黒い染みが滲む場末の部屋で、黒髪の青年は金髪の青年に揺さぶられ、突き上げられ、悲鳴ともつかぬ苦鳴を上げ続ける。
攻め続ける青年は、快楽ゆえか、はたまた別の理由か、何かを堪えるような苦い表情で己の昂ぶりをぶつけ続けている。
決して見ぬよう、きつく、眼を閉じたまま。
交わす言葉はいらない。
交換し合う、汗と体温だけあればいい。
互いの視線が交わることは一度としてなく、狂乱の夜は更けていった。
ゆっくりと浮上する意識に任せて眼を開ければ、見慣れた背中が視界に入った。
ロイは無言で起き上がり、此方に背を向けて身支度をしている部下に声を掛ける。
「相変わらず余韻を楽しまない男だな」
態と女のように拗ねた口調で詰ると、咥え煙草のまま、ハボックは面白そうに哂った。
「心にも無いこと云わないでくださいよ」
うっかり本気にしたらどうします?
そんな云いようにロイも含み哂う。
情事が終わっても視線が絡み合うことはない。
一度交わせば、見たくも無い現実を認識してしまうから。
「何時まで続けるつもりなんすか」
ハボックは徐に問い掛ける。
ロイは、ゆっくりと瞬きをしただけだ。
「…………」
薄暗い部屋に沈黙が落ちる。
その沈黙は何を意味しているのか、ハボックには判らなかったが、それは自分にもそして彼にとってもあまり良い意味を持っているとは思えなかった。
そしてひとつ溜息を吐くと、立ち上がり、扉へ向かい歩く。
目の前のドアを開く寸前で、躊躇うように立ち止まると、気だるげに振り返った。
「自分は、自分を愛してくれる人間としか一緒に寝たくないっス」
ロイは、促すように黙って見詰める。
「……指を咥えてるだけじゃ、欲しいものは手に入らないっスよ」
本人も、云っても届かない言葉だという事は判っているるに違いないのに、敢えて云いたくなる程、自分は哀れに見えるのだろうか。それとも、己に云い聞かせているのかもしれない。
そう考え、気付かれない程小さく哂った。
「気が合うな。私も欲しいものは必ず手に入れる主義だ」
肩を竦めながら、やや茶化したように云う。
そんなロイの様子に、ハボックは忌々しげに舌打をした。
「あんた、最悪だな。————本当、酷ぇ男だ……」
言い捨てて、今度こそ部屋を後にする。ハボックの憤りのままに打ち付けられた扉の音が止むと、部屋は再び静けさを取り戻す。
ロイは億劫そうに身を起こし、シャツを軽く羽織って窓辺に近づいた。長い夜が明けて、朝日が昇り始めている。しかし、その空は黎明の清々しい光ではなく、総てを焼き尽くすかのような朱に染められていた。
禍々しい程の紅蓮。
まるで、己が生み出す焔にも似た擬似感が沸き起こる。
その激しい煉獄を思わせる業火は、身の淵に潜み、時折噴き出しては胸の芯を舐めていく。嘲笑いながら掠めていく炙るようなひりつく痛みは、既に慢性化して衝動を起こすきっかけにもならない。
ふと、先程出て行った少々根性曲がりだが真っ直ぐな気質の部下を思い出す。あの苦い表情も思い出されて、また少し、胸が痛んだ。自分にはその資格もないのに。
彼の欲しいものは何かを知っていて知らない振りをしている。そして彼も、決して手に入れられることは無いと知りながら手を差し伸べることを止めない。微かな言葉に、僅かな期待を込めて。裏切られると判っていて、それでも止めない。
くらり、と、眼の裏が遠くなった。ロイは眩暈を堪えるように、きつく眼を瞑る。
眩んだのは、眼前の紅蓮にか、それとも身の内の業火か……。
『欲しいものは必ず手に入れる————』
その言葉に嘘は無い。
欲しいものはすべて手に入れてきた。
今、欲しいものは二つある。一つは、近い未来必ず手に入れるだろう。確実に叶う現実、そのことに疑いは微塵もない。
もう一つは、ある意味では手に入れている。
喩えそれが本心に副わなくても、それ以上を望むべくも無い。
————望んでは、いけない。
ロイは、疲れたように窓辺に凭れ、軽く息を吐いた。浮かぶのは、眼鏡の奥、この上なく優しさに満ちた眼差し。けれどそれは、同時に酷く残酷な現実を突き付ける。
ハボックが怒るのは、自分の、ヒューズとの関係の曖昧さだろう。そして、彼自身身を引けぬ己の想いゆえ。
どれだけ詰られようと、誰に見下げられようと、二人の手を離すつもりはさらさら無い。
喩え、この身が焼き尽くされようとも。
終わりの無い泥の川を歩くことを、止めるつもりは無かった。
青白く輝く紅蓮の焔。
胸に抱く想いの深さゆえ、その熱さは計り知れない。
いずれは来る、破綻の時。
落ちる旅路の、道行となれ————。