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昨日と今日と、過去と未来

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始まりはいつだっただろう。
 しっとりと肌に吸い付くような感触だけはしっかりと覚えているが、茹だるような暑い日だったという事しか確かではない。人間とは違い、記憶に当たるデータでさえきちんとバックアップを取っているにも関わらず、僕のそれに関する記憶はとても曖昧であやふやだ。七月だったか八月だったか、それさえも定かではないのだが、空の青さと白く大きな入道雲、じとりと滲み出る汗は微かに覚えている。やっぱり、それは夏のある暑い日だったのだろう。

 アブラゼミが好き勝手に騒いでいる。ヒグラシの時期はとうに過ぎ、日ごとに暑さは増すばかりだ。どこから引っ張り出してきたのか、窓際に吊るされた風鈴だけは涼しげな音色を奏でる。ちりん、ちりりんと風鈴が鳴る度に、机の上に開かれたままの真っ白な手帳のページをぱらぱらと風がめくる。揺れるカーテンと相俟って、ある種の神聖な雰囲気がそこにはあった。
 穢してはならない、そんな空気だったからなのか、そこにいるのが何だか居た堪れなくなって、僕は一人逃げた。向かうのは別にどこでも良かった。兎に角、そこにはいたくなかったんだ。自分がいるだけで、あのまっさらな空間は歪んで朽ちていくような気がした。自分を卑下するつもりは毛頭ないが、かといって自分を美化する気もない。だから、分不相応に煌びやかなものと一緒にされるのは嫌だったんだ。

 着いた先は薄暗い地下の、今は使われてないであろう事が容易に想像できる、こじんまりとした倉庫だった。歩を進める度に小さく舞う埃が、どれだけの間この部屋が放置されていたのかを物語っている。ここは空気が呼吸をしていない、とでも喩えたら良いのだろうか。冷たささえ、この部屋には存在していないのだ。空気の流動がまったく感じられず、既に全ての生命が死に絶えた世界を連想させる。存在しているのは僕一人で、その僕さえ生物ではない。そんな、価値なんてないような世界。
 ここには、この狭さからは想像できないくらい多くのものが仕舞われている。ガラクタにしか見えないものや、日用品だったもの、骨董品かと見間違えるくらい古めかしいものまである。そんな品々に紛れて、ナンバーズの試作品と思わしきものが置かれていた。細部にまで拘っていたのだろう、同じようで微妙に違う機体がいくつも並んでいる。そして創造主のせめてもの優しさだと感じられるのは、それぞれがスリープポットに丁寧に安置されている事だ。
 部屋の中で、唯一青い光を放ちながら稼動している事を示すスリープポットがあった。その光を見て安心するのは、いるはずのない母親というものを感じるからだろうか。ぼんやりと部屋中を照らしている青い光は、しかし隠されるように奥へとやられていた。

 スリープポットの中には、僕がいた。長い睫を伏せ、女のように華奢な四肢を横たえ、自らの力で動く事をしようとはしないが、それでもしようと思えば今にでも稼動する事ができる、もう一人の僕が。地上では不要なマスクは外され、脇に置かれていた。自分でも数えるほどしか見た事のない素顔は、驚くほど端整に作られていて、スリープポットの光の所為で青く見える肌は、光さえなければ透き通るように白いであろう事は明白だ。
 キーを操作する無機質な音だけが、虚しく木霊する。解錠を示す電子音が鳴り響いてから、ゆっくりとスリープポットは開いた。躊躇いながらも手を伸ばしてその白い頬に触れると、人工的ではあるが心地良い温もりが伝わる。懐かしいとも言えるその温もりは、次第にどちらのとも区別がつかなくなってしまい、一体化してしまったように思える。緩やかな曲線を描いている人工皮膚は、吸い付くようになめらかだった。

 あれから正確にどれだけ経ったのかは分からない。あの日は夏で、今もまた夏である事しか確かではないのだ。やはりアブラゼミは好き勝手に騒いでいるし、年代物の風鈴は涼やかな音だけを響かせている。だが、あの日には確かになかった向日葵が重たそうな頭を擡げて、時の経過を嫌でも知らせてくれる。こうしている間にも、きっと僕の歯車は動き、動かし、ゆっくりと朽ちていく。既にどこかは壊れているかもしれない。
 あの日以来、僕は暇さえあればあの部屋に行き、『彼』と一緒にいる。動く事のない『彼』は、それでも静かに僕を待ち続けている。僕が『彼』に会う事、それが『彼』の望みでもあった事を僕は知っているし、その通りにするのが僕の望みでもあるから。

「愛しているよ、あの日までの僕。」



昨日と今日と、過去と未来
(入れ違いに気付かない愚者ども)