無言の約束
そのたった一言が書かれた便箋と一緒に封筒に入っていたのは、まるで燃えさかる炎を紡いだかのような、脆くも丈夫な赤い糸。スルリと封筒から静かに抜け落ちて、足元に纏わりつくそれを、指に絡めるように持ち上げてからしげしげと眺める。30㎝あるかないかのその意図は、何かを主張するでもないsに大人しく掌の上に鎮座している。
これを渡そうと思った女(男かもしれない)は、一体何を伝えたかったのか、悪いがこれではさっぱりだ。いや、分かっている。分かってはいるのだ。チラリと便箋に目をやる。真っ白な便箋のほぼ中央に、几帳面な字で書かれた一言。その一言を伝え、更に何かを伝えようと入れられた糸。その意図は入れた本人にしか(もしかしたら本人にさえも)分からない。簡潔すぎると逆に分かりにくくなってしまう事もあるそうだが、元々ややこしいものはどう足掻いたってややこしいままなのだ。余計な事などしなくても良いものに手を加えるなど、言わずもがなだ。
一度手中に納めてしまったものを手放すのは、たとえ大した思い入れなどなくとも惜しく感じてしまうものだ。ましてや、このような手紙だ。誰からかも分からない手紙を、そう易々と可燃ゴミに出せる程情のない人間ではない(そもそも『人間』ですらないのだが、そこはそれ、比喩というものだ)。仕方なく、暫く睨めっこをした後に机の中に仕舞っておいた。勿論、赤い糸も一緒に。
部屋の片付けをしていると、何やら懐かしいものを見付けた。手紙と赤い糸だ。少しだけ色褪せた手紙は、相変わらず一言しか書いてないし、糸の方も記憶のそれと大して変わらない姿でそこにある。懐かしい。そう思い、いつかのように、指に絡めるようにして持ち上げた。鮮やかな赤は己の藍によく映えた。
鈍い音がして、ドアが開いた事に気付いた。首を回すのが何だか面倒に感じ、来訪者に失礼とは思いながらも、指で糸を弄びながら「何か用か。」と短く告げた。気分を害した雰囲気でもなかったので、気にせず手紙と糸を元の場所に直し、また部屋の片付けに戻る。
「相変わらずだな。」
声が聞こえたのは、ドアが開いてから随分経ってからだったので、面倒だと感じていたにも関わらずつい後ろを振り返った。振り返ったとして、別段何かがあるという訳でもないのだが、妙に居心地が悪いような気がして、ふいと視線を逸らす。
「なぜ目を逸らす? 人の目を見ろと言うのはいつもお前じゃないか。」
クックッと喉を鳴らしながら歩み寄ってくる青い先輩機に渋々視線を合わせる。相手のほうが数cm高いので、自然と見上げる形になる。少し顎を上げ、目線を合わせると満足そうに目を細められた。それがなんだかとても不愉快に感じられ、無意識のうちに眉間に皺が寄る。
「相変わらずだな。」
もう一度同じ事を言われた。それが誰に対して言われているものかはとうに分かっている。しかし、どれに対するものかは全く分からない。相変わらず部屋が和風だとでも言いたいのだろうか。そんなどうでも良いことだったなら、すぐにでも脳天を叩き割ってやろうと思っていたときだ。
「まだあの手紙を残しているのか。」
不意に聞こえた声はあまりにも小さく、もし片付けに戻っていたなら絶対に聞き取れていなかっただろう。どこか寂しげな空気を纏ったその呟きは、二人の時間を止めてしまった。開いていた窓から吹き込む秋の風に翻弄される本のページだけが、それを否定していた。
無言の約束
(もしかして、と思った先は言えなかった)