日本語、通じてる?
教師として就任してから早三ヶ月。
僕は既に、この学校へ赴任してきたことを後悔し始めていた。
■日本語、通じてる?■
「みっかどくーん!」
生徒に混じりながら来神高校の校門へと向かう僕を大きな衝撃が襲った。
4月こそ何が起こったのかと後ろを振り向いていたものだが、僕としても慣れたもので大きく溜め息を吐き出すに止める。
「……折原くん、君ねえ…」
いつも「先生」って呼んでって言ってるでしょう?
言っても無駄と知りつつも、慣性の法則に従って言葉がこぼれる。
教師が生徒にタメ口で話されているなんて示しがつかない、とか、他の生徒達の手前恥ずかしい、とか、そんな理由からくるわけじゃないけれど、彼がこうして大々的にアピールしながら寄ってきた時には必ずもう一つの厄介毎が付随してくるのだ。
「折原君だなんてやだなあ、先生! そんな他人行儀にしなくたっていいじゃない!」
「僕と君は他人です。第一、他の生徒達に示しがつかないでしょう?」
「そんなこと思ってもないくせにー」
――日本語、通じてるのかな。
「俺は生粋の日本人だから日本語は理解できてるよ。まあ勿論、優秀な俺の頭脳にかかればどんな言語でも関係ないけどね!」
――脳内は読まなくて良いというのに。
頭が悪いわけではなく、むしろこの学園においても本気を出せばトップクラスだろう男子生徒に心からの溜め息を送ることにして、帝人は職員用玄関へと歩を進めた。
当然とばかりに彼――折原臨也は帝人の後を付いてくるが、玄関に入る一歩手前で不意に片手を差し出した。
「ということで、はい!」
「何かなその手は」
「え。帝人せんせーのうちの合い鍵もらいに来たんだけど」
「は」
一瞬の思考停止。
みかどせんせいのうちのあいかぎもらいにきたんだけど。
あいかぎ――合い鍵?
「なんで」と最後まで言葉を紡がせずに彼の会話が再会する。
「いやあそろそろ俺たちも同棲してもいいかなと思って! だから、はい」
「合い鍵は無いし同棲も同居もする気は無いしっていうかそもそも僕らは教師と生徒という関係に過ぎないんだけどね、若しくはそれ以下」
「ええーひっどいなあ! 俺は帝人くんのことをこんなにも愛しているのに!」
大袈裟に両手を拡げて見せる相手に、朝から三度目になる溜め息を吐く。
「君が愛するのは、人間というカテゴリに属する種族でしょう?」
――それは、僕、という一個体に対する あい ではない。
考えれば考えるほど、堕ちれば堕ちるほどに、虚しい、哀。
「だから、」
「そんなこと、」
「え」
「そんなこと、俺の前にとっては些細なことさ! それらすべてひっくるめて俺が貴方を愛するということだって、いつになったら理解してくれるのかなあ」
――あ。
いつもの自分以外凡てを一段高いところから仰ぎ見るような仮面に、綻び、が。
「――折原、く、」
「――ッ!!」
不意に持ち上げた腕の前を、重力を無視した鉄塊が擦り抜ける。
轟音を上げて玄関に飛び込んだ物体が一体何だったのか確認する暇もなく、僕は今歩いてきた道を振り返った。
燦々と降り注ぐ太陽の元、輝かしい金髪が揺れている。
その手には校庭にあるべきはずの鉄棒が握られていた。
「いーざーやーくーんー、死ねやおらあああああああ!!!!」
「うっわー、このタイミングで来るの? 来ちゃうの? ほんっとシズちゃん死んで!!」
第二弾、第三弾と放たれる鉄製のそれを軽々と交わしながら逃げる途中、僕の眼前にふわりと降り立った彼は、
「俺、本気だからね」
――だから覚悟しててよ、せーんせ。
そう呟いて、僕の口唇を掠め取った。
* * *
(――言えない。絶対に言えない。もう、手遅れ、だなんて。)