【腐向け】夜【黒李】
怖いから、現実逃避しているだけ。
舜生は夜が好きだ。たとえ偽りの空だとしても星は輝き、手の届かない光をいつかの思い出と重ねて愛おしく思う。朝日が昇るまで起きていて夜を過ごすほどではないが、あの静けさと喧騒が同居した独特の空気は好ましく思う。
そして彼は夜そのものと共に星を眺めるのが好きだった。そこに理由と呼べるほど立派な根拠は存在しなかった。ただ漠然と幼い頃夜空を見上げては「綺麗だな」と思い、それが延長されてここに至ったというような具合である。
誰にその訳を訊ねられても同じようにしか答えられないし、深く答えようとしても元の深さが足りない。
しかし天体観測が趣味だと答えても普通は非難されることは無い。寧ろ好印象に取られることの方が多い。
だから、舜生自身も忘れていた。
夜を好きでいようとする深いところの訳を。
「悪趣味だな」
舜生と同じ顔をした男が吐き捨てた。その時舜生はむっと顔を顰めた。
「無趣味の貴方には言われたくないです」
「無趣味じゃない。何かにのめり込むのが面倒なだけだ」
「そっちの方が余程悪趣味ですよ」
テレビも何も、娯楽と呼べるものが皆無の部屋。唯一の救いは話し相手がいることぐらいだろうか。
何もなければ長すぎる日々を時間に流されながら過ごすというのは中々に難しいものがある。些細なことでも時間が潰れていくのならば、と二人は会話に興じている。
いつも話題を振るのは舜生なのだが、今日は珍しく黒の方から話しかけてきた。
夕食を終え、長い夜をどう過ごそうかと日課になりつつある疑問を一通り悩む。今日の食事当番は黒なので、舜生はやることがない。交代でやっているので始めから相手を手伝うという選択肢はなかった。そういえば暫く望遠鏡の手入れもしていなかったと思い、舜生は望遠鏡の手入れをすることにした。
ちょうど手入れを始めた頃、食器を片付けた黒が部屋に戻ってきた。何もすることがないらしく黒は黙って舜生を見ていた。その視線に若干の居心地の悪さを感じつつも、舜生は段取り良く望遠鏡を掃除していった。レンズは下手に掃除すると傷が付いてしまうため、鏡筒や合焦ハンドルを布で拭いていく。
掃除を終えた望遠鏡を部屋の隅に移動させ、先程の定位置に戻ってくると相手は開口一番「悪趣味だ」と言ってきたのだ。
そして今の会話に至る。舜生が望遠鏡を拭き終えると、黒はナイフを手入れしていた。悪趣味はどっちだ、と口に出さないだけで舜生は心の中で言い返した。
「だいたいお前が夜を好きだとは思えない」
「好きですよ。星は綺麗ですし、夜景だって綺麗です」
「それは夜の一部だろう。夜の中にある星、夜の中にある夜景だ」
鋭くナイフが光る。
「お前が夜の何を知っている」
それは闇夜を駆ける黒だからこそ言える言葉だった。「何も知らないくせに好きだ、などと簡単に言うな」と続くものだと思った。しかし続いた言葉は予想を裏切り、違うところへと向けられる。
「俺がいなければ独りで眠ることもできない。部屋の片隅で蹲っているだけの、お前が。どうして夜を好ましいなんて言えるんだ。その趣味とやらも、眠れない時間を潰すための手段に過ぎないだろう」
黒が舜生に向けた視線はナイフよりも鋭く、冷たかった。舜生は思わず目を逸らす。
「べ……つに、夜が怖くて眠らないとか、そんな訳ないじゃないですか」
「怖がっているだなんて誰も言っていない。嘘を吐くな、そう言っているだけだ」
黒はナイフをケースに仕舞い、立ち上がった。その間、舜生は何も言わない。彼は俯くばかりで、唇を白くなるほど噛み締めていた。
そんな舜生の様子に、黒は呆れ果てたように息を吐いた。
「明日は任務で朝が早い。今日はもう寝る」
「待って……!」
噛み締めていた唇を開き、舜生は黒を引き止めようとする。舜生の伸ばした手は黒の服の裾を掴んだ。
「もう、少しだけ……」
それだけ言うと舜生はまた俯いてしまった。一度は立ち上がった黒も再び舜生の隣に腰を下ろす。
「夜が怖い訳では……ないんですよ」
ぽつりと呟かれた言葉。黒は黙って聞いている。
「夜じゃなくて、貴方のいない、夜が。怖くて怖くて堪らないんです……」
黒が夜任務から帰ると、必ず舜生は起きている。始めは舜生が健気なだけだと黒は思っていたが、最近になって漸く舜生の様子がおかしいことに気付いた。
とにかく夜、一人で起きているのだ。黒が一緒にいるときは半ば無理やり寝かしつけるが、黒が任務から帰ってくるまで起きているのは、待っている訳ではなくただ単に眠らないだけ。
だから黒は自分と同じ顔をした、夜に逆らう青年に訊ねたのだ。
「何故そこまで夜が好きだと言い聞かせるのか」と。
黒からすれば強がりにしか聞こえなかった。矢張り訳を聞けば、強がり以外の何物でもなかったのだが。
「俺はここにいる」
そう言って黒は夜に怯える彼を抱き締めた。
「朝、目が覚めても消えたりしない。だから」
最後まで言うことはなく、抱き締める腕に力を込めた。恐る恐る抱き締め返された腕は、黒の存在を確かめようとしているようだった。
「ねえ、黒」
どれぐらい抱き締めあっていたのだろう。
暗闇の中呟かれた声は、恐怖に震えてはいなかった。その事に黒は心底安堵する。自分がこうしているにも関わらず、舜生が怯えていたのでは自分の無力さを呪いたくなってしまう。
「どうせならこのまま眠らないで」
「明日が早いと言ったばかりだろう」
黒はここのところ任務続きだった。黒の任務が続いたということは、舜生が夜全く眠っていないことを意味する。黒としては僅かでもいいから舜生に眠って欲しかった。
「じゃあ、眠らせないで下さい」
舜生の当然の申し出に黒は目を丸くした。彼の声は子供のように無邪気だ。
「今日だけ。お願いします」
舜生から強請ってくるのは珍しいことだった。黒の顔にも自然と苦笑が浮かぶ。
「今日だけ……な」
暗闇の中、闇に身を沈めるように黒は舜生を押し倒した。睡眠薬を分け与えるように口付けを交わし、そのまま。
ぼんやりと溶けていく思考。舜生は縋るように黒の背中に腕を回した。
(目が覚めて、貴方がいなくても)
(貴方の付けた跡を頼りに夜が明けるのを待ち続ける)
作品名:【腐向け】夜【黒李】 作家名:てい