君の行方を待っている
俺は携帯の電源をオフにして、静かにゆっくり暗くなっていくその画面を見つめていた。
さっきまで振動し続けていたそれを無視していたが、確認していない履歴にはきっとハルヒからの着信でいっぱいなのだろう。
電車の穏やかな揺れが、ほんのりと心地よい眠気を誘う。隣には古泉が肩を並べて、うつむき加減にしゃんと座っている。俺たちは黙ったままだ。
夏休みも終わりに差し掛かっていた。団活へ向かう駅の途中で俺は古泉と鉢合わせた。やあ、と笑った古泉の顔は木の葉の影で隠れた。日差しは強かったけれど気持ちのいい熱が木々の隙間から差し込んでいた。
そうなのだ、今日は空があまりにどこまでも広く青く澄み渡っていたので、俺はついどうしようもないことを口走ってしまったのだ。
「このままどっか、知らないところに行っちまおうか」
恋人と呼ぶ相手と、誰も知らない遠いところに逃げてしまいたい。そんなものは、ドラマや映画の中の話だけだと思っていたんだ。ああ、そのときまではね。
古泉がどんな言葉で俺のたわごとをおちょくるのか期待していたのに、返ってきたのは微笑みの消えた古泉の、なんだか泣きそうな顔だった。
今日の予定はただの不思議探索だったから、俺と古泉はほとんど手ぶらだ。毎年のように手付かずの宿題を、もうすぐやって来る新学期を、涼宮ハルヒとこの世界を、全て忘れたふりで俺たちは隣町の駅からでたらめな電車に乗り込んだ。
「僕はもうそろそろ、アルバイトへ向かわなければいけなくなるでしょうね」
古泉は自分の携帯を手に持ったまま、応答はしないもののさっきから着信相手をいちいち確認しているようだった。
電車を乗り継いで、もうどのくらい経つだろうか。俺のペットボトルは汗をかいて、その水滴は椅子にうすくしみを作っていた。
「なぜこんな離れた場所にいたのか、新川さんに言い訳を考えなければいけない…」
そうひとりごとのように呟いて携帯のディスプレイを見つめている。
だが、着信があったのはハルヒからだけで、古泉が気に掛けている相手からの呼び出しは未だない。
「ハルヒはきっともう諦めてるさ。あいつら3人で、どこかで遊んでる」
「事故にでも遭ったんじゃないかと、心配されているかもしれません」
「じゃあ俺が、メールしといてやる」
俺は携帯の電源を入れた。ボタンを押す指が震えたので、自分の心臓が大きく高鳴っているのだと初めてわかった。
(電話出れなくて悪い。すまないが俺と古泉は急用ができたから、今日はパスさせてくれ)
文字を打ち終えて送信し携帯をパタリと畳んでから、最初からなぜこうしなかったのかと気付いた。思考回路が停止しているかのようだった。ただあてもないどこかに、ふたりでひたすら進もうとすることしか頭になかったのだ。それ以外のことを考えるのを身体は勝手に拒んでいたかのように。
「愛の逃避行」
俺の呟いたひとことは、電車の音に重なってもふたりのあいだにはじゅうぶんに響いた。
「まさか自分がやる日が来るとは思わなかったね」
「僕は」
急に必死になって抗おうとするような、古泉の声が飛び込んできた。
「僕は、あなたに逆らえない。逆らおうとしない」
「なぜ」
「あなたのことが好きだから。決まっています」
古泉の顔は悲しく曇っていた。手はなにかを祈るように携帯を握り締めていた。
「あなたに、冗談でもあんなことを言われたら僕は、…あなたならわかっているでしょう」
電車が大きく揺れた。それに沿って俺たちは背もたれから一度前方へ揺れ動く。
「僕が逃げたいと思っていることを」
知ってるよ。そんなことはもう知ってる。でもお前なら笑うだろう。俺の冗談みたいな呟きなんてひとことふたことでかわして、続く待ち合わせ場所への道を歩くことを止めないだろう。
なのに、どうしてあんな顔をしたんだ。
「ハルヒから、返信来た。お怒りのようだが、でも了解、だってさ。今度からもっと早く知らせろと」
「………」
「お前のアルバイトはお休みだ」
俺は古泉の柔らかい後ろ髪に手を差し込んで、あやすように撫でた。
さっきまで振動し続けていたそれを無視していたが、確認していない履歴にはきっとハルヒからの着信でいっぱいなのだろう。
電車の穏やかな揺れが、ほんのりと心地よい眠気を誘う。隣には古泉が肩を並べて、うつむき加減にしゃんと座っている。俺たちは黙ったままだ。
夏休みも終わりに差し掛かっていた。団活へ向かう駅の途中で俺は古泉と鉢合わせた。やあ、と笑った古泉の顔は木の葉の影で隠れた。日差しは強かったけれど気持ちのいい熱が木々の隙間から差し込んでいた。
そうなのだ、今日は空があまりにどこまでも広く青く澄み渡っていたので、俺はついどうしようもないことを口走ってしまったのだ。
「このままどっか、知らないところに行っちまおうか」
恋人と呼ぶ相手と、誰も知らない遠いところに逃げてしまいたい。そんなものは、ドラマや映画の中の話だけだと思っていたんだ。ああ、そのときまではね。
古泉がどんな言葉で俺のたわごとをおちょくるのか期待していたのに、返ってきたのは微笑みの消えた古泉の、なんだか泣きそうな顔だった。
今日の予定はただの不思議探索だったから、俺と古泉はほとんど手ぶらだ。毎年のように手付かずの宿題を、もうすぐやって来る新学期を、涼宮ハルヒとこの世界を、全て忘れたふりで俺たちは隣町の駅からでたらめな電車に乗り込んだ。
「僕はもうそろそろ、アルバイトへ向かわなければいけなくなるでしょうね」
古泉は自分の携帯を手に持ったまま、応答はしないもののさっきから着信相手をいちいち確認しているようだった。
電車を乗り継いで、もうどのくらい経つだろうか。俺のペットボトルは汗をかいて、その水滴は椅子にうすくしみを作っていた。
「なぜこんな離れた場所にいたのか、新川さんに言い訳を考えなければいけない…」
そうひとりごとのように呟いて携帯のディスプレイを見つめている。
だが、着信があったのはハルヒからだけで、古泉が気に掛けている相手からの呼び出しは未だない。
「ハルヒはきっともう諦めてるさ。あいつら3人で、どこかで遊んでる」
「事故にでも遭ったんじゃないかと、心配されているかもしれません」
「じゃあ俺が、メールしといてやる」
俺は携帯の電源を入れた。ボタンを押す指が震えたので、自分の心臓が大きく高鳴っているのだと初めてわかった。
(電話出れなくて悪い。すまないが俺と古泉は急用ができたから、今日はパスさせてくれ)
文字を打ち終えて送信し携帯をパタリと畳んでから、最初からなぜこうしなかったのかと気付いた。思考回路が停止しているかのようだった。ただあてもないどこかに、ふたりでひたすら進もうとすることしか頭になかったのだ。それ以外のことを考えるのを身体は勝手に拒んでいたかのように。
「愛の逃避行」
俺の呟いたひとことは、電車の音に重なってもふたりのあいだにはじゅうぶんに響いた。
「まさか自分がやる日が来るとは思わなかったね」
「僕は」
急に必死になって抗おうとするような、古泉の声が飛び込んできた。
「僕は、あなたに逆らえない。逆らおうとしない」
「なぜ」
「あなたのことが好きだから。決まっています」
古泉の顔は悲しく曇っていた。手はなにかを祈るように携帯を握り締めていた。
「あなたに、冗談でもあんなことを言われたら僕は、…あなたならわかっているでしょう」
電車が大きく揺れた。それに沿って俺たちは背もたれから一度前方へ揺れ動く。
「僕が逃げたいと思っていることを」
知ってるよ。そんなことはもう知ってる。でもお前なら笑うだろう。俺の冗談みたいな呟きなんてひとことふたことでかわして、続く待ち合わせ場所への道を歩くことを止めないだろう。
なのに、どうしてあんな顔をしたんだ。
「ハルヒから、返信来た。お怒りのようだが、でも了解、だってさ。今度からもっと早く知らせろと」
「………」
「お前のアルバイトはお休みだ」
俺は古泉の柔らかい後ろ髪に手を差し込んで、あやすように撫でた。
作品名:君の行方を待っている 作家名:ボンタン