まったくもって救いのない
自宅に着くと、扉の前で鞄から鍵を探り出す。取り出した鍵を挿そうと、帝人はドアノブを握った。しかし、おかしなことに鍵をかけていたはずのドアノブがするりと回る。
(…またか。)
帝人は慌てることなく、扉を開く。こういったことが頻繁に起こり、珍しくなくなってしまっていた。嘆かわしい。
「ただいま、です。」
「おかえりー、帝人くん!」
返ってくるはずのない返事を胡散臭い笑顔つきで口にするのは、帝人の部屋の合い鍵を何時の間にか勝手につくっていた臨也だ。他人の家で寝転がりお腹空いたから来ちゃった☆とウィンクしながら言う図々しさに、帝人は大きく溜め息を吐いた。
「…外食するか、出前とるかすればいいじゃないですか。」
今更、不法侵入だと騒ぐ気はないが、自宅ではないのだから多少は遠慮して欲しい。ほぼ週一ペースの訪問は、正直鬱陶しかった。
「帝人くんの手料理が良いんだよ!俺のとこに来てもらってもかまわなかったんだけど、それだと帝人くんは面倒くさがるかなあと思って。」
わざわざ君の家に足を運んであげたんだよと臨也が胸を張るのを見て、帝人は遠い眼をした。どう考えても、臨也が胸を張れるような内容ではない。だが、実際呼び出されれば言うとおりにしないと後が怖い相手のせいで、自分は新宿まで行かなければならなかっただろう。そう考えれば、まだ出向いて来てくれるほうが助かる。どちらがましか程度の違いだが。
「お気遣い、どうも…。」
「どういたしまして!」
この男と出会ってから、自分は随分とポジティブになったと帝人は思う。まったく嬉しくはないが。
寝転がる臨也の身体を邪魔ですと跨ぎ、買ってきた夕飯の材料を机に置き袋から出す。連絡がなくとも二人分用意するようになった、自分の慣れが恨めしい。
野菜を台所に持っていき包丁を取り出していると、背中を向けていて表情の見えない臨也が、今思い出しましたと言わんばかりの白々しさで話題を振ってくる。
「そういえばさ、帝人くん。」
「はい。」
「先週の土曜日、シズちゃんとご飯一緒に食べたんだって?」
蟻を踏み潰す子どものように無邪気な悪意の滲む声に、やっぱりと帝人は包丁を握る手を止めた。振り返れば、にやにやとこちらを見る臨也の顔が眼に入る。
「…あなたは、最初からそっちが聞きたくてきたんでしょう。お腹空いたとか、適当なこと言って。」
「帝人くんのご飯が食べたくなったのは本当だよ?この話のほうが、ついで。」
本当に、苦手というだけあって臨也は静雄のことになると平素以上に目敏い。調べればすぐにわかるくせに、帝人本人から聞きたがるあたりが、性悪だ。帝人は身体を前に向け、再び包丁を握った。
「それは光栄ですが、あなたが期待するような話が出来るとは思いませんよ。」
「いいの、いいの。君が料理してて、俺暇だし。暇つぶしに、ね?」
僕は暇じゃないんですけど、とは言わずに、帝人は肩を落とした。
「…偶然、眼が合って。一応名乗りあった仲ですし、近付いて挨拶してたらちょうど昼食の時間ってことで一緒に食べただけです。」
「ふうん。あのシズちゃんと一緒にいて、よく無傷でいられたね。」
「平和島さんが過剰に暴力的になる相手なんて、あなただけだと思いますよ?」
「わかってないなあ、帝人くん。君はシズちゃんに対する認識が甘すぎるよ!」
「はあ、そうですか。」
適当に相槌をうちながら、野菜をすべて一口サイズに切る。フライパンに油を落とし、今朝炊いた米がまだ炊飯器に残っていたはずと、確認する。一人暮らしの知恵として、まとめて炊く癖がついているので、予定外の臨也のぶんも足りるだろう。
「帝人くんってば!聞いてる?!」
「聞こえてはいます。」
コンロに火を点し、油をフライパン全体に均す。固い野菜から炒めはじめると、臨也が拗ねたような声を出した。
「…それ、聞いてないよね?」
「そうですね。すみません。」
「……。」
「……。…結局、なにが言いたいんですか。」
再度適当に流すと、臨也が口を閉ざす。その沈黙を面倒だと思いつつ、無視した後のほうが面倒かもしれないと考え直し、渋々帝人は口を開いた。
すると、臨也からほとんど間をあかずに返事が返ってくる。
「つまりさあ、シズちゃんばっかり帝人くんと遊んでズルい!ってこと。」
「折原さん、ウザいです。」
「ひどっ!甘楽泣いちゃいますう~~!」
「死ねばいいのに。」
辛辣な言葉でも返ってくれば嬉しいのか、やけに浮かれた声音だ。味付けを塩こしょうにするか醤油にするか悩みながら、コンロの火を少し弱めた。
そして、先週の土曜のことを思い浮かべる。交わした言葉は少なくとも、静雄は皆が口を揃えて言うほど近付いてはいけない存在だとは思えなかった。
それに。
「平和島さんを見てると、優しくしたくなるんですよね。」
「…帝人くん、眼科行く?いいところ紹介するよ。」
「けっこうです。」
珍しく本気で心配している気配に、帝人は苦笑する。臨也の中の静雄像は揺るぎなく、そういった反応が返ってくることは想像の範疇だった。
「っていうかさ、シズちゃんなんかに優しくするより、帝人くんは俺に優しくするべきだよ!」
「無理ですね。」
迷った結果無難に塩こしょうの瓶を手にした帝人は、臨也の訴えを一蹴する。お人好しだと散々周りから思われている帝人だが、それが臨也相手に発揮されることはほぼ皆無だ。ひどいと甘楽口調で喚かれても、臨也が帝人にとっての優しさを向ける対象に含まれることはない。臨也が臨也である限り、そんな日は一生来ないだろう。
「あなたのことはどうしようもない人だと思っていますが、嫌いじゃありませんよ。好きでもないですけど。」
「なあに、それ。どうでもいいって言われている気になるなあ。」
「いいえ。ある意味では、はい、ですが。」
炒めた野菜の味付けを終え、一旦火を止める。フライパンを横に移動させ、インスタントの味噌汁をつくる為に水を入れたヤカンをコンロに備え、再び火をつけた。
「もし僕があなたのように人間を愛してやまない心を持っていたならば、これ以上なくあなたは僕の最高にして最大の観察対象だったでしょうね。それくらい、僕はあなたに関心があります。」
沸騰するまでの間に、何時の間にか勝手に置かれていた臨也専用の茶碗にも米を盛り付け、机に並べる。不満そうに畳に肘をつく臨也と眼が合った。
「…褒められてる気がしないなあ。」
「そりゃあ、褒めてませんからね。」
恨めしげな視線をものともせず、帝人は台所に戻り野菜炒めを皿にのせる。ヤカンの水は、そろそろ沸騰しそうだった。
食事の準備をほとんど終え、帝人は未だに寝転がっている臨也に呆れを隠さず振り向いた。
「さっさと起きて、せめて箸ぐらい自分で取ってくださいよ。」
作品名:まったくもって救いのない 作家名:六花