ご愁傷様
暴力の象徴のような男なのだ。平和島静雄は。
静雄が怒れば、自動販売機が宙を舞い道路標識が引き抜かれる。そんな噂をどこの与太話だと笑い飛ばす者は、池袋の住民にはいない。余所から来た者たちも、生々しく残る抉れたコンクリートや横倒しの自動販売機を見てしまえば、何も言えなくなる。
あまりにも、圧倒的。同じ種の生き物でありながら、その差異の激しさを人は恐れるしかなかった。
だかそれは、仕方のないことでもある。動物には生存本能というものが備わっているのだ。自ら進んでライオンの檻に入ろうとする者など、自殺志願者以外いないだろう。そんな例えが成り立つほど、怒れる静雄は死への恐怖を体感させる。
だから、静雄の周りにはごく一部の、静雄の扱いに長けた者や怒りに触れない者だけが残った。
浮かれたような空気を放つ年上の男の一歩後ろを歩きながら、帝人はそんなことをつらつらと考える。
静雄の知り合いというと一番に思い浮かぶのは、静雄にとって皮肉なことに臨也だが、あれは例外と言うべきだろう。そして自分はけっして静雄と親しい一部の者ではないし、そもそも数回顔を合わせた程度の仲だ。だからこそ、偶々出くわし昼食を共にすることで、静雄が妙に浮ついた雰囲気をまとう理由がわからない。
ただ、帝人自身も浮き立つ心を抑えるのに必死で、あまり人のことを言えないのだが。
だって、と口に出さずに言い訳する。あの、平和島静雄と食事だ。それも暴力のぼの字も思わせない穏やかさで、だ。
ただしそれは、静雄の怒りに触れるものが現れれば一瞬で無に帰す程度の不安定さで保たれているもので。次の瞬間には、帝人が知覚するよりもはやく静雄の暴力という危険にさらされるかもしれない。
帝人は、自分が非力だと自覚している。静雄の暴力にまともに巻き込まれれば、十中八九命はないだろう。
それなのに、冷や汗が滲むほどの恐怖とともに、湧き上がる興奮を捨てきれない。
例えば今、静雄の大嫌いな臨也が目の前に現れたとして、自分の目の前で繰り広げられるはずの乱闘を、一番近くで見られるかもしれないのだ。
帝人の眼がきらきらと輝く。それはまるで、小さな子どもがヒーローに憧れている姿のようだった。
どれほど近くで言葉を交わして共に過ごしたとしても、結局帝人にとって平和島静雄とはテレビ画面の向こうのヒーローで、身近な存在として認識することは出来ないのだ。
そうであるからこそ、帝人は静雄に惹かれた。平和島静雄という人間が、帝人の日常になることはない。つまり静雄は永遠に非日常でいてくれる、帝人にとっての幸せの青い鳥のようなものなのだ。