片隅で、はじめてみようか
そう言って幽が差し出したのは、サボテンだった。育成用と言うよりは観賞用に近い、小さなサボテン。静雄は差し出されたそれを素直に手のひらで受け取り、まじまじと見つめた。静雄が一握りすれば、綺麗に粉砕されてしまうサイズだ。
「なんだよ、これ。」
「サボテン。」
「見ればわかるんだよ!そうじゃなくてだなあ!」
幽の行動の意味のわからなさに声を張り上げるが、相手はびくともしない。お互いただの戯れの範疇であると、兄弟として培ってきた時間の中で理解しているからだ。
「ねえ、兄さん知ってるかな?サボテンって花咲くんだよ。」
「はあ?!マジか?」
「大マジ。」
からかっているのかと静雄は幽を凝視するが、どうやら嘘ではないらしい。幽は表情の乏しい顔を上下に振った。
「だからさ、咲かせてよ。兄さんがそのサボテン。」
「…なんで俺が。」
「頼むよ。」
幽は静雄を自慢の兄だと言ってくれる。それが誇らしいけれど、どれだけの迷惑を今まで自分がかけてきたかを思えば、喜ばしさに少しばかり申し訳なさが混じる。負い目とまではいかないが、それに近いものを持っていた。
だから、どんな些細なことでも幽からの頼みとなると静雄は滅法弱かった。
「わかったよ…。」
「本当?良かった。」
静雄が渋々了承すれば、動きの少ない幽の顔の筋肉がわずかに緩む。まさしく微笑そのものの淡さだったが、静雄はそれが見れただけで満足だった。
「とりあえず、どうすんだ。水やればいいのか?」
「うん、あんまりやりすぎると駄目らしいけど、やらないのも駄目なんだって。」
「ふうん。」
「あと、花が咲く種類って決まってるんだって。俺が持ってきたのが咲く種類かはわかんない。」
幽のそんな予想外の発言に、静雄は眼を白黒させる。
「ちょっと待て!なら意味あんのか、俺が育てて!」
「うーん。でも、いいじゃない。」
「よくねえよ…!」
「いいじゃない。」
だが、抗議したところで幽には無意味だ。受け入れられるとわかっている、弟や妹特有の狡さがそこにはあった。
「…ったく、水やるだけしかしねえぞ。」
それを知っていて結局受け入れるのだから、静雄も大概甘い。つまりは、どっちもどっちなのだろう。
幽にサボテンを渡されたその日から、静雄はなるべく忘れないように朝目覚めるとすぐにサボテンに水をやるようにしていた。それが習慣づくくらいには静雄はその行為を繰り返した。けれど未だに、サボテンに花が咲く気配はない。
静雄がサボテンを世話し始めてから、幽は時間を見つけては静雄の家によくやって来るようになった。咲かないね。咲かないな。最近の二人の会話はこれから始まる。
もしかしたら、静雄の世話の仕方が悪いのか、単に咲かない種類なだけか。調べればわかることだ。しかし静雄に調べる気はない。
今日も今日とて、二人でじっとサボテンを見ながら何時もの言葉を繰り返す。
咲けば幽は喜ぶかもしれないが、静雄は内心咲かなくてもいいのになあくらいは思っていた。
作品名:片隅で、はじめてみようか 作家名:六花