今日が閉じる頃にいらっしゃい
蒐集というには集めている対象がある訳だか、恋人によればきれいなものを基準としているらしい。単純に見目だけではなく、経緯や由縁にも拘りを発揮しているのが気の落ち着けない部分である。
恋人の親友は呆れと憐れみを、割合同じ加減に含んだ眼差しで忠告する。
手に入らないと諦めていたものを所有出来たら、誰だって欲を持ちますよ。臨也さんは人間観察の専門家なんでしょうに、気付いていなかったんですか?
目の当たりにした今で思考する。やっぱり、俺の所為なのか。
そうであるなら、余計に独自性を持って恋人の期待に答え続けなければならないのでは、とも選ばれた喜悦を愉しみながらも思うのだ。惚れた弱味がなんとやら。
桜の花弁とは異なった、触れると溶けてしまう雪のように戸惑いの接触は恋人のものである。
金曜日の放課後には恋人を新宿の自宅に招き、終電の時間まで粘り済し崩しに泊めさせる。大方の全財産をあの貧相なアパートに置いているからか、引き剥がすのには多少の労力を要するし中々手強くはあるのだが。
互いに今日あったことをつらつらとなんとなしに報告する会話の合間に、以前許諾したことをあくまで遠慮の範囲内に収めようとされなからも、髪を弄られたり顔の造作を確かめられている。表面だけは控え目なお気に入りへの独占の確認は、不器用ながらも愛おしい。
だからと言って行き過ぎは禁物で、欠けたからと丁度処分しようとした憎くも羨む相手のサングラスまで集めて来なくていいんだからね。現物が今もカバンの中に入っていそうで微妙な嫌がらせみたいだな。
殺気からくる執着を見て勘違いしたという経緯のお門違いな嫉妬も、日常会話に出てくる人々へ向けた些細なきっかけの嫉妬も、飽きるまでは譲歩として付き合ってあげるから。飽きる気配はないけれど。
恋人はやはり形ある確かなもの好み囲まれて、ようやく安心感を憶える性質のようなので。
決して見えず、触れることが不可能なものを信じて貰えるよう、或いは今出来る慰みを思索する。
そうして今宵も名前を呼んでは抱き寄せて、たった一人へ向けた心を織り交ぜつつ声帯からひっそりと囁く。
愛してる、愛してるよ、と。
作品名:今日が閉じる頃にいらっしゃい 作家名:じゃく