ある夏の夜の話
すれ違う女性の多くは浴衣を纏い、親子で浴衣というグループもあった。
カップル、友人同士のグループ、親子連れ。
さまざまな人が行き交う場所に、正臣と沙樹は手を繋いで歩いていた。
「暑いねー」
「そうだなー」
周囲のカップルとは異なり、二人とも浴衣ではなく洋服姿で歩いていた。
「どこまで行くの?」
「んー、ちょっと人が少ないとこ」
「そうなんだ。ここから遠い?」
「いや、結構近いかな。俗に言う、穴場ってやつ」
言いながら、正臣は道の両端に並ぶ屋台を覗き、少しずつ食べるものを買っている。
それは二人で食べるには少し多いくらいの量。
気がつけばお互い、繋いでいない方の手に食べ物を持っていた。
「こんなに食べきれるかな?」
「どうかなー。ま、余ったら持って帰るとか」
「臨也さんに届けるとか?」
クスクス言う沙樹に、正臣はあからさまに嫌そうな表情を浮かべる。
その様子を見て、沙樹は「冗談だよ」と苦笑する。
「あー、すっげ嫌な名前聞いた」
「そこまで嫌わなくてもいいんじゃない?」
「嫌うに決まってんだろー」
「でも臨也さんがいなかったら、私たち、一緒にいなかったかも」
「…じゃあ百歩…いや、千歩?一万歩かな…。そんだけ譲って、嫌な顔するのはやめておく」
「そうだね。その方が、楽しい気分が台無しにならなくて済むよね」
「…沙樹も結構言うな」
「そうかな?」
微笑みながら、沙樹はそんなことを口にする。
その様子を、正臣は苦笑しながら受け入れる。
いつものやり取りを交わしながら、二人は正臣の言う穴場へと向かっていた。
この縁日に来ようと提案したのは正臣だった。
たまたま買い出しに行った場所で見つけたポスターが、沙樹の目に留まったのがきっかけだった。
聞けば、こういった縁日に来たことはほとんど無いらしい。
少しだが花火も上がるということだった。
普段、正臣と臨也以外にあまり関心を示さない沙樹が、たまたま興味を示した。
それだけで、正臣にとって沙樹と二人で行く価値は十分にあった。
他愛のない会話をしながら歩いている内に、少し開けた場所に出た。
住宅街にありそうな、児童公園のようなそこに、正臣はどんどん足を進める。
もちろん、手を繋いでいる沙樹も同じように足を進める形になる。
芝生で埋められた場所の一角で正臣は足を止めた。
「ここ、座ろっか」
「うん」
そう言って、二人は芝生の上に腰を下ろした。
そこから視点を上へと向けていくと、星がまばらに光る夜空が広がっていた。
「きれいだね」
「だな」
二人して、空を見上げる。
そこにあるのは、星ばかり。
花火が打ち上げられる気配はまだ無い。
正臣は買ってきた食べ物を開け、沙樹にもそれを渡す。
正臣に渡されたものを受け取りながら、沙樹は正臣に話しかけた。
「ねえ、正臣」
「んー?」
「ありがとう」
「なにが?」
続く言葉は分かっていた。
けれど、正臣はその言葉を促す。
そんな流れに苦笑しながら、沙樹は答えた。
「花火。連れて来てくれて」
「俺も行きたかったから」
「私と?」
「もちろん」
きっぱりと言い切る正臣に、沙樹は苦笑する。
彼の言葉は本心なのだろう。
けれど、その奥に隠されたものに、沙樹はなんとなく気付いていた。
「今度は、別の人とも行きたいんじゃない?」
「例えば?」
「幼馴染の子とか、三角関係になってた女の子とか」
「あー…」
沙樹の鋭い指摘に正臣は苦笑する。来たくないと言えば嘘。
でも一緒に行きたいという気持ちがあっても、正臣の心の整理がついていない。
「まだ、会えそうにない?」
「…うん」
「そっか」
そう言って、沙樹は手にしていた食べ物を口に運ぶ。
その動作が一段落するのを見計らって、正臣は沙樹を抱き寄せた。
「なぁに?」
「んー、なんでも」
「嘘だぁ」
クスクス笑いながらも、沙樹は正臣の行動を受け入れる。
それは出会った時から変わらない構図で、離れていた期間を埋めるような行為となっていた。
「正臣はそうやってすぐに誤魔化すね」
「誤魔化してねーよ」
「誤魔化してるよ。私にはわかるもん」
「あー、沙樹、エスパーだもんなー」
「正臣限定でね」
そう言って、二人は顔を見合わせてクスクスと笑い合う。
そんな中、正臣がおもむろに沙樹にキスをした。
それは何度も繰り返され、徐々に深いものへと変化していく。
それを受け入れつつ、けれど沙樹は途中でそれを制した。
肩を押し返された正臣は、残念そうな、そして不満そうな表情で沙樹を見る。
「だめ?」
「だめ。もうすぐ花火、上がるもん。せっかくだからそれ見よ?」
「えー」
「いいじゃん。家ですれば」
「外だから、いいんじゃん」
頬を膨らませ、正臣は沙樹に言う。
そんな様子を苦笑しながら見つめ、誤魔化すように体をより密着させる。
それで少し妥協することが出来たのか、正臣は沙樹を抱き締めるように腕を回した。
「あんまりぎゅっとしたら、痛いよ」
「大丈夫、その辺の加減はちゃんとしてるから」
「分かってるよ」
そんなやり取りをしていると、二人を彩るように打ち上げ花火が空に咲いた。
色とりどりの花、そして耳を劈くような大きな音。
そのどちらに反応したかは分からない。
けれど、花火が上がった瞬間、沙樹の体がびくりと震えた。
その様子を見て、正臣はククッと笑みをこぼした。
「なに、びっくりしたの?」
「ちょっとね」
正臣の言葉を肯定し、沙樹は苦笑する。
そんな彼女の頭を軽くなで、正臣は口を開いた。
「まあこれから慣れていけばいいんじゃないか?」
「うん」
「来年も、再来年も来たら、そのうち慣れるだろうし」
「そうだね」
沙樹は嬉しそうに正臣の言葉に答える。
以前とは違う、先が約束されたような言葉。
その言葉に幸福感を覚え、沙樹は正臣に体をすり寄せた。