Desperado
朝、いつもの時間に眼を覚まし、いつものように顔を洗う。
当たり前に家族と顔を合わせ、軽い会話を楽しみ、鞄を担いで家を出た。
通い慣れた道、駅に向かう道。
周りの景色なんてろくに見なくても迷わない。体が憶えている、条件反射のように。
歩いて十二分。剥き出しの線路の脇を通り、一路駅へ。
途中、知らない家の軒先で猫が欠伸。それを横目にただ歩く。
毎日変わらず佇む駅が見える頃になると、知らない顔見知りがちらほら現れる。
毎朝同じ時刻に顔を合わす、名前も知らない顔見知り。きっと、一生、言葉を交すこともない人たち。
自分にとって彼等がそうであるように、彼等にとって、自分も名無しの顔見知り。改札を抜けると、もう、顔も思い出せない希薄な通行人。
定刻通りにやって来る電車に乗り、駅を通過するごとに増えていく人混みに辟易。酸素が足りない魚のように上を向いては深呼吸。
閉鎖された空間に、ぴたりと張り付く肌と肌。どこにも逃げ場などなくて、他人の体温感じてる。
耐えられない。
そう限界がくるのもいつものこと。途中で下車する駅まで秒読み体制。扉の前で数を口ずさむ。
開くドア、飛び出す靴音、駆け込むベンチ拭う汗。
ようやく息ができる。腹の底まで空気を押し込み、静かに吐き出す。生き返った、大袈裟な感覚に苦笑い。
発車のベル、閉まる扉に自分が乗っていた車両がゆっくり流れる。右方向へ進む電車はどこも満員御礼、みんな慣れた顔して虚ろな瞳。
電車は好きじゃない。
ここじゃないどこかへ行きたくなるから。
いつもは乗らない電車で、みんなと逆方向へ進むのはどれだけ気持ちが良いだろう。そこには、ぬくもりで上昇する気温も、感染する不快指数も存在しない。どこまでも一人で、どこまでも冷たい、静かな場所に違いない。
ホームのベンチで一人夢想する。
隣にも、後ろにも、前にだってたくさん人は居るけれど、この空間でこんなにも自分は孤独だ。誰も気にしない誰も見ない誰も彼もが孤独にただ在る。
だから自分は夢想する。絶えず流れる景色を見つめる自分を。
重い荷物は捨て去って、靴すら脱ぎ捨てて、誰も知らない、誰もいない場所で彷徨う自分を夢想する。
合図のようにベルが鳴る。現実に引き戻す音がする。
電車は嫌いだ。
どこにも行けない自分を思い知らされるから。
眼の前にまた電車が止まる。違う電車のはずなのに、自分が乗ってきた電車で行ってしまった人たちと同じ顔が並んでいる。
電車は嫌い。特に満員電車は。
それでもきっと、自分は毎日同じ電車に乗り、この駅で下り、夢想することを止めはしないだろう。
どれだけ遠くへと願っても、自分の足を引き留めて離さない存在が乗ってくるから。
ほら、聞こえてくる。雑踏に紛れて独特の足音が。
同じような顔に同じような表情を宿した人の群れ、その中のただ一つの輝き。
君が居ると、どこにも行けない。
君が居るから、どこに行くこともない。
それでも心は無人の広野を求めるから、せめて夢の中で、デスペラードを気取っている。
昨日も今日も明日も、君を求めて彷徨い、君の笑顔で喉を潤す。
そんな夢のような旅路へ、君をつれて。