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たそがれどき、かはたれぼし

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 季節特有の抜けるような紺碧に覆われていた空は、いつのまにか宵闇の色にその姿を移し替えようとしていた。空に溶けるように山の向こうへと沈んでいくのは、紺碧に圧倒的な存在感を持っていたもので、消えてしまうとなると少しだけ寂しく思う。
「また、明日」
 山のシルエットへと吸い込まれてゆく最後の輝きをまとう姿は幾度となく繰り返された『終わり』によく似ている。毎日、子供の約束のように告げる言葉にはまったくといって良いほどの効果はないとわかってはいるが、それでも呟かずにはいられない。

 玄関を掃き整えるには少し遅い時間になってしまったと、本田菊は使い終えたホウキを置いて、桶に汲んだ水で表札を綺麗に拭いていく。家の中の掃除に時間がかかってしまったのだから仕方がない、とは言い訳にすぎないのは自分でもわかっている。それでも、最近とみに不精になってしまったなという自己嫌悪に浸る暇など残されてはいないからてきぱきと手を動かす。
 一人で住むには広い家だが、こればかりは如何様にも変えられない。それでもかつては一人で全ての部屋を掃除して回っていたのだから、今とて出来ないわけではない……はずだ。
(年、とりましたかね……)
 などと考えてしまえばとたんに肩や腰が重くなるのは、思いこみの一端だろうか。ぽんぽん、と肩を叩きながらもう一度表札を拭いた。

 今日は、客人を招くのだ。家の顔ともいえる玄関はしっかりと整えておきたい。

 前掛けで手を拭いて、時計代わりの携帯電話を眺めれば、そこには普段の夕餉の時間が記されていた。その下に、小さな数字。ちょうど八時間前の時刻を淡々と刻んでいる。すなわち、午前十一時。客人が本来刻んでいるはずの時間だ。時差ぼけなど起こしていないといいが、自分がかの国へと行くとどうにも日付の感覚が狂ってしまうから、心配ではある。
 最後に、桶の水を柄杓ですくって石畳にまいていく。
もしも昼間の内にやっていたら、少しは涼めたかもしれないが、この暑さでは焼け石に水だったのかもとも思う。今更考えたところで詮無きところなのだが。
 空の宵闇が広がっていく。どこか不安な色合いを和らげるかのように街灯がぱち、ぱちと色づき始めた。三本向こうの電柱についている街灯が点いたり消えたりと心許ない。あとで町内会の班長さんに知らせておこうと心に留めていると、その街灯の下を進む長い影に気がついて、桶を片付けに急ぐ。いまだ掃除の途中などとは知られたくないのだ。

 影になってしまって顔は見えないたそがれどき。
 それでも、誰かわかってしまうのが不思議である。