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Hungry Spider

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僕は毎日穴を掘る。どうしてなのか、なんのためかなんて、僕自身もうまく説明できない。
そんな僕を、ある人は不思議そうに、またある人は怪訝な顔をして、またある人は困ったように笑いながら見ていた。そんなのまぁ当然だろうし、そのことを不快になんて思ったりしない。
でもあの人はみんなと違ったのだ。僕自身でさえ持て余している僕に、微笑みかけてくれたのだ。

***********

その人に関する第一印象は「変な人」だった。だって、せっかく一流の髪結い師になる才能も可能性も十分あるのに、「家が代々忍者の家系だとわかったから」なんて理由で、今更忍者を目指すために忍術学園に編入してくるなんて…少なくとも僕には、彼の一連のこの行動は全くもって理解できなかった。
次に感じたのは、「恐ろしい人」だった。何を考えているのか、さっぱりわからないのだ。僕もよく同じようなことを言われるのだが、彼と僕とでは全く方向性が違うように感じる。彼はいつも、にこにこと穏やかな笑みを浮かべていた。一見すると彼の身にまとう穏やかな雰囲気に騙されそうになるが、彼はその柔和な笑みの下に、己の「負」の感情を全て隠して、己と周囲との間に透明で柔らかな、だがひどく強固な壁を作っているようだった。それが僕にはなんだかひどく恐ろしいことに感じられた。
そもそも彼は、山奥離れたこの忍術学園という一種の閉鎖空間に、ある日突然現れた「異端物質」だ。ただそれだけでも、僕が彼を受け入れがたいと思う理由には十分だった。


どすん!
大きな音とわずかに揺れる空気。僕特製の落とし穴に、また誰か落ちていったのがわかった。今日もまた不運委員長が落ちたのかな?それともまだまだ未熟な一年生の誰かだろうか?僕はどこかわくわくしながら、足取りも軽く、音のした方にかけよっていった。
すると…
「おやぁ…」
日の光を受けてキラキラ光る髪に、僕と同じ紫の装束。そこに落ちていたのは予想外の人物だった。
「はじめまして…ですよね?斉藤タカ丸さん。」
「あはっ…君が掘ったのかな?綾部喜八郎くん。」
穴の中の人物は、泥まみれの姿でへらへらと笑っていた。穴に落ちたというのにのんきな人だ。やっぱり変な人…。
「よく僕の名前ご存じですね。」
僕と彼は少なくとも直接の面識はないはずだ。それなのにどうして…
「あぁ、い組の滝夜叉丸くんに勉強を教えてもらった時、君の話を聞いたんだ。あと、一年は組のみんなも「穴掘り小僧として有名なんですよ!」って君のこと話してたよ。」
あぁ、滝夜叉丸か…と僕は同じクラスのうぬぼれ屋の顔を思い浮かべる。どうせやつのことだから、あることないこと言っては自分の自慢話に無理やりつなげたんだろう。一年は組も、善法寺先輩に続く僕の落とし穴被害者だから、僕のことをこの人にいろいろ話していても不思議じゃない。
「それで悪いんだけど…」
「へ?」
「ここから出れそうにないんだ…手伝ってくれるかな?」
「…」
この落とし穴は自分で言うのもなんだがなかなかの傑作だ。まだ忍者を目指して日も浅いこの人が簡単に出れるわけがない。
「仕方ないですね…。」
正直めんどくさいけど。
両手を穴の中の彼に差し出す。相手がしっかりと捕まったのを見て、そのままぐいっと引きあげた。
「うわぁっ!あ、ありがと。えへへ…。」
何をのんきに笑ってるんだろう?この人は。
「しかし本当に立派な穴だね〜。綾部くんってすごいんだね!」
さっきまでその穴に自分が落ちていたのに、この人ときたら…。
「イヤミですか?」
「え?いや、本当にすごいなぁって思っているけど?」
ちょっととげとげしい僕の言い方にも全く動じない。これが年上の余裕というやつなのか、それともただ単に鈍感なのか…。
「綾部くんはさ…穴掘り好き?」
「唐突になんですか?…別に好きでも嫌いでもないですけど…。」
僕自身、どうしてこう毎日飽きもせず穴掘りを繰り返しているのかわからない。
「そうなの?でも、こんなに立派な穴が掘れるなんて、やっぱり穴掘りが好きなんじゃないかな〜?って思うよ。少なくとも、これは立派な才能だと思うし。」
僕は少し驚いた。僕の異常なまでの穴掘り趣味についてはたいていの人が渋い顔をする。こんなに肯定的な言葉をくれたのはこの人が初めてだ。…なんだか、少しだけ、嬉しいと感じてしまった。
「何かを好きでそれを続けられるのは、立派な才能だと思うよ。…少なくとも僕にとっての髪結いは、そうだといいな、なんて思ってる。」
誰に聞かせるでもないように、タカ丸さんは呟いた。その顔はいつものへらへらした笑顔とは違いやたら真剣で、僕は思わず目を奪われる。
「タカ丸さんは…」
「へ?」
「いや、もし気に触るならすいません。タカ丸さんは、髪結いの道を言ったん外れてまでこの学園に編入したこと…後悔してないんですか?」
タカ丸さんは僕の言葉に一瞬目を見開いたものの、すぐにその表情をいつものような穏やかなものに戻した。だがそこに、いつも彼に感じる、やんわりと他者を拒絶するかのような壁は、感じられなかった。
「う〜ん…確かに最初はいろいろ戸惑ったよ。好奇心とか妙な使命感だけで付いていくには、ハードすぎる授業内容だったし。」
タカ丸さんはじっと僕を見つめながら、慎重に言葉を選びつつ口にしているようだった。彼の色素の薄い瞳が、今僕だけをとらえていることに、僕は例えようがない不思議な高揚感を感じた。
「でも今は、毎日楽しいよ。新しい知識や経験が、少しづつだけど自分の身になってるのを感じてるし。なにより、町でずっと生活していたら会えなかったような人たちとふれあえることで、いい刺激を受けられるしね。」
タカ丸さんの目が楽しそうに細められる。口角がきゅっと上がり、口元にも幸せそうな笑みが浮かべられる。…こんな綺麗に笑う人、初めてみた…。その笑顔が、この人が本当に今幸せなことを教えてくれて、なんだか僕まで嬉しくなる。
「ほら、今だって…」
「?」
タカ丸さんの柔らかな声色が、ますますとろけそうに優しいものになる。その声にぎゅっと心臓を鷲掴みにされたような気がして、僕は心地いい息苦しさを感じる。
「今だって、こうして綾部くんと話せて仲良くなれた気がするし…僕、幸せだよ。」

――瞬間、時が止まった気がした。

そして次の瞬間、彼の言葉の意味を理解し、頬に一気に熱が集まるのを感じた。
『これ以上、この人の側にいたら、きっと…』
早鐘を打つ鼓動が、僕にそう警告していた。
「ぼ、僕、もうすぐ授業ですから!」
タカ丸さんから慌てて顔をそむけ、僕はかけ出した。
「え?ちょっと、綾部く…」
後ろから戸惑う声が聞こえたが、無視して走る。そのまま僕は、自分の部屋まで全速力で駆けていった。
胸の鼓動も、頬の熱さも、この息苦しさも、すべて全速力で走ったせいにしてしまいたかった。
それでも、そんな僕をあざ笑うかのように、タカ丸さんの甘く優しいあの声は、いつまでも僕の耳の中で響き続けた。警戒心をといたあの綺麗な笑顔も、ずっと瞼の裏側から離れなかった。

*********

今日も僕は穴を掘る。ただ今までとは少し違う気持ちだった。
作品名:Hungry Spider 作家名:knt