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Still waiting

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ひっきりなしにこめかみを流れる汗を手の甲で拭い取った。もう一度チャイムを鳴らし、舌打ちを一つ。
「俺が来る時くらい、家に居ろよちくしょーめ」
 元々来訪する事を告げていないのだから無茶振りだとは自覚している。久しぶりに見る、アントーニョの家特有の真っ白な壁からの反射光に目を眇めた。
 招き入れてもらおうにも家人が不在なのなら仕方ない。トマト畑でも見て時間を潰そうと、家の前に広がるトマト畑を振り返る。と、どさっ。大きな物が土の地面に落ちる音がした。
「…ロヴィ?」
 意中の人物――アントーニョが、そこには立っていた。ちょうどトマトを収穫して来たらしく顔も体も土だらけ。落ちた物は大量のトマトが入った籠だった。
 アントーニョは馬鹿みたいに口を開けて俺を見ている。どくんどくんと波打ち始める鼓動は、予想はしていたが遥かに上回っている。暑さとは違った理由で手の平に滲む汗が鬱陶しくて拳を作る。
「……何見てんだコノヤロー」
 早口になるのを抑えようとすれば不機嫌そうな声になった。だがアントーニョは意にも介さず、ゆっくりとしたスピードで間抜け面を笑顔に変えていく。
「ロヴィーノ!」
 満面の笑顔になる前に、弾かれるように駆け出した。被っていた麦わら帽子が外れてアントーニョの癖っ毛が露わになる。
「うっわー大きくなってん!独立以来やん!どしたん急に?言てくれてたら良かったのに!」
「そんな変わんねぇよ」
 懐かしい言葉で捲し立てられながら、軍手をそこらに放っぽった素手で髪やら頬やらをペタペタ触られる。いつになってもアントーニョの反応は分かりやすい。本気で歓迎してくれると伝わる。でも、無遠慮に触られた部分が熱くなる自分に腹が立つ。
 ――こいつは、なんでもなく距離を詰められる。
 終いにはぎゅうっと強く抱擁されたから肩を押し返した。
「触んな! っつか放せ!」
「あー久しぶりやわぁロヴィのこの感じ」へにゃ、と笑う。
「るっせー。っつか腹減ったんだよ。飯食おうぜ」
「せやね」
 やっと腕から解放される。アントーニョは落としたままだったトマトの籠を拾い上げると、玄関を大きく開けて招き入れた。
「親分がパエリア作ったろか。好きやったろ?」
 アントーニョはシンクで土を丹念に洗う。俺はその向かいでカウンターに肘を突いて話す。昔と変わらない。俺の見える視界だけが幾分か高くなっただけだ。
「舐めんなよ、昔とは違って料理出来るようになったって思い知らせてやんぜ」
「そら楽しみやんなぁ」顔を上げて笑みを深くする。「ほな頼むわ。せっかくやしトマト使うてやって」
「おう、そのつもりだ」
 俺とアントーニョの場所が交代する。勝手知ったるキッチンでパスタの麺を茹で、もぎ立てのトマトを使ってソースにする。以前とは比べ物にならないほど良くなった手際を、アントーニョに一々褒められて面映ゆかった。
 つつがなく終わり、テーブルで向かい合って食べ始める。アントーニョが一口目を食べるまで、つい凝視してしまった。咀嚼すると顔をばっと上げて、
「美味い!美味いでロヴィ!」目を丸くして驚き半分感動半分といった表情で俺を見る。当然目が合った。
「ったり前だろ。早く食えよ」反応が本心だと分かるだけに照れ臭くて、パスタに目を落とす。
 テーブルの下で作ったガッツポーズは、きっとあいつには見えていない。
 順調に口に運んでいっていたのが、ふとアントーニョの腕が止まった。らしくなく僅かに眉を下げて、パスタの皿に視線は注がれているがぼんやりしている。
「どうしたんだよ?」
 問えば、苦笑いのような表情を浮かべて頭を掻いた。
「…や、ほんまにロヴィは大人になってもうたなーって…。ええことやけど、なんか寂しいわ」
「……俺だっていつまでも子供じゃねーよ」
 声は低くしたが、内心では喜んでいた。アントーニョがやっと、俺を子供じゃなく大人と意識した。快挙と言ってもいい。
「っせやな!子分の成長喜べないなんか親分失格やんな」
 にっと笑ってまた食べ始める。その笑顔にどこか違和感を禁じ得なかった。
「これで最後っ…と!」
 皿洗いはアントーニョが自分がやると言って聞かなかった。俺としては割らずに出来るようになったことを見せ付けたかったが、調理は俺がしたから片付けはやらせられない、と筋が通っていて反論出来なかった。
「なぁ、アントーニョ」
 手から水気を飛ばしているアントーニョに話しかける。声が震えそうなのを何とかして抑え込む。
「昔みたいに一緒にシエスタしねぇ? あのハンモック残ってんだろ」
 即答するかと思っていたが、アントーニョは困ったように笑った。
「ハンモックはもちろん残てる。でももう狭いやろ、一人で寝とき」
 予想外の突き離した返答に、それまでの嬉しさが消えた。狭いなんて建前だ。今とそう変わらない体格の時でさえ一緒になって寝ていた。
「狭くたって構わねぇし」表情が強張ってるだろうけれど、気にしちゃいられない。
「…ほら、ロヴィ大人やろっ。駄々捏ねんで、な?」
 困った時にはいつも頭を撫でて誤魔化そうとする。今回もそうで、頭を撫でるとさっさと自室に向かって歩き出した。その肩を掴んで乱暴に引き寄せる。ずいと顔を近付けたら、思いの外至近距離になった。
「都合良い時だけ大人扱いすんなよ! 俺は子供じゃなくても子分は辞めてねーぞ!」
 間近にあるアントーニョの顔が、俺の顔との近さにまず目を見開く。次いで頬から耳から朱が広がった。だがムキになったような表情に歪む。
「せっ、せやかて! 俺もうロヴィのこと子分て思えんねんもん!」
 振り絞るような声は俺の鼓膜を揺らし、同時に心も大きく揺さぶった。視界がシャットアウトしたかのように、一瞬辺りが急に暗くなる。
 ダイニングに一人残され、アントーニョの部屋の扉が閉まる音が大きく響くまでただ立ち尽くしていた。
作品名:Still waiting 作家名:SUG