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ネバーエンディング何か(1)

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「来年あいつ、大学へ戻るんだって」
 彼の退団の報せを聞いたのは練習打ち上げの日の朝。同期で最も有望視されていた選手だった。

 曇天の空の下、だだっ広いグラウンドの隅に集合した。手袋の中の指がやけにかさついていた。
 早々と敗退した天宮杯に、繰り上げられた日程。トップのメンバーが集ったところへ、午前練を終えたサテライトが加わり、形ばかりの納会が行なわれた。
 沢山の頭ごしに、今季限りで解任の決まった監督と、共に退団するコーチ陣の姿が見えた。監督の顔を、椿がはっきり見たのは初めてのことだった。
「トップはマツバラさん以外、全員入れ替わっちゃうらしいな」
 誰に対してでも愛想の良いことで知られる世良が、朝礼の時間よろしく後ろ手に組んだまま椿に肩をぶつけてくる。
「まだ監督、決まってないみたいだな」
 世良の言葉を受けて、清川がつぶやく。
「まあ誰でも、使ってくれりゃいい監督だよな……」
 石浜のため息に、トップの面々に混じって監督の訓辞を聞いていた赤崎が、ちらりと振り返った。
 
 小一時間あまりの納会と、ロッカールームの整理を終えて寮に着いた頃には正午もとっくに回っていて、空腹を訴える世良が一目散に食堂へと駆けてゆく姿が見えた。今日のお昼何? チキンカツ? 豚のしょうが焼き? 何でもいいっス。そんなやりとりを清川達とかわしていた椿に、外メシ行かないか、と声がかかる。振り返れば、今朝がた噂していた「彼」だった。同期で最も有望視されていた選手だった。
(どうして俺なんだろう)
 椿は思った。
(どうして俺に声をかけてくるんだろう?)
 入団時期こそ同じであったものの、彼の年齢は石浜や清川に近かった。同校卒でも、あるいは同郷でもない彼から、わざわざ食事に誘われる理由が椿にはどうしても判らなかった。それでも、誘いを受けてしまったのには違いなく、自室に戻った椿は慌てて身仕度する。
 カラーボックスから厚手のカットソーとジーンズを引っ張り出して着替え、中綿ロングのベンチコートに一瞬手を伸ばして止めた。チームエンブレム入りのそれは、街中で着るには些か目立ってしまう代物だった。カラーボックスの奥底に詰められていた、高校時代に着ていた学校指定のダッフルコートをようやく見つけだして、それを片手に椿は彼の部屋へ急いだ。
 
「スイマセン遅くなりました!」
 確かに同期ではあったけれど彼は年上で、そしてサテライトでのゲームキャプテンを何度か務めていたこともあって、敬語が出るのは自然のなりゆきだ。
「いいよ、ちょうど出るとこだった」
 そう言って後ろ手に扉を閉める彼の肩越しに見えた室内は、既に荷物が引き払われていた。昼下がりのぼんやりとした陽光に染まる、殺風景な部屋の残像を椿の瞳の中にとらえた彼は、少し大袈裟に部屋の鍵を掲げて、これ寮母さんに返してくるわ、と笑った。

 ゆらゆらと人波揺らめく雑踏の中、ひたすらあてもなく歩いた。クリスマスシーズンに向けたディスプレイで華やぐ商店街は、いやがおうにも人々を浮き足立たせてしまう。今年は実家に帰るのか。ぽつりと放たれた彼の問いかけに、まだ考えてないッス、と椿は返す。
 先程胃袋に納めたはずのオムライスが、どうも座りが悪い。もごもごと口ごもる椿に、彼はそっか、とだけ言った。それきり会話が止まったと、互いに思った刹那。椿は大きなくしゃみをした。なんだお前風邪かよ。彼は苦笑する。スイマセン。手の甲で鼻を拭う。
 
 アーケードを抜けると、格別広く高く感じられる師走の空があった。消えかけの飛行機雲を目で追って、彼は椿の方へ振り向くこともなくただ、白紙だったんだ、と言った。え? と声をあげた椿に、ようやく彼は目線を合わせて、査定表がさ、と続けた。

 査定表。
 それはシーズンの終わりに届く一通の封書だった。手でちぎってしまうには気後れして、寮母に鋏を借りた。刃先の長い大鋏の、重くひんやりとした冷たさを椿は思い出す。そして、そこに記された、数字の意味を。
「……俺さ、俺を必要としてくれる所へ行くよ」
 相談したんだ、大学の恩師に。そしたらさ、戻ってこいって。センセーってすげえな、カントクってすげえ。はっきりいって俺の辞め方って裏切り者に近かったんだぜ? 俺が抜けて、他のレギュラーだった奴らも俺みたくプロになるって抜けて、関東リーグ二部落ちして、今は三部との入れ替え戦なんてやってんの。でもさ、それでも。
「……!」
 息つく暇もなく吐き出された彼の科白を妨げたのは、椿の度重なるくしゃみだった。
 日の傾きに伴って下がり始めた気温に、隅田川を吹き抜ける突風が、椿の目蓋を閉ざし首をすくめさせる。椿は申し訳なさで消えてしまいたくなった。だが彼は気分を害した様子もなく、これやるよ、とだけ言った。そして椿の首に、己が巻いていたマフラーをかけた。風邪ひくなよ。そうつぶやいた。予期せぬ温もりに慌てた椿が目を開けた頃、彼は踏切前に立っていた。そして彼は振り返る。
 明滅する遮断機のランプが、彼の表情を小刻みに照らした。
「椿、お前ならきっと       」
 彼が放った言葉の語尾は、通過する列車にかき消された。
「あの、今なんて……」
 踏切が開くと同時に動き出した車のクラクションが、今度は椿の声を消した。
 人混みをすり抜け、彼に追いついたものの、再び椿が問いかけることはなかった。


 師走のはじめ、彼はETUを去った。何の気なく寮の居間で手に取った専門紙に、彼の記事と写真があった。
「大学サッカーじゃ有名人だった。でも、ここには馴染めなかった」
 赤崎が通りすがりに記事をのぞき込み言った。こんな顔の人だったっけ? 椿は改めて記事の写真をみつめた。そういえば、まともに顔を見た覚えがなかった。それでも、二年の歳月を共に過ごした彼の声はよく覚えている。そして、彼が椿へと向けた、最後の言葉、は。
(……あれ?)
(ちゃんと、覚えてない、や)


 彼が口にしたのは「お前ならきっと大丈夫だ」だったのか、それとも「お前ならきっとやっていける」だったか。
 どちらにしろ、己にとって耳心地のよい言葉だったようにしか思い出せぬ気がして、それきり椿は思考を止めた。