愛惜小鳥
華やかな街の一角にある、一つの陰間茶屋
そこでは綺麗に着飾った少年たちが、様々な感情を抱え、必死に生きていた
その中で、十三歳にしてその陰間茶屋で最も高位に存在する少年がいた
しかし、どんなに金持ちの客を相手にしたとしても、激しい情事を強いられたとしても、その少年の双眸は曇ることなく、たった一人を見つめていた
そう、たった一人
少年の世界であって、少年の全てである、たった一人の家族を
***
蝋燭と月明かりが、部屋を照らす
部屋にいるのは一人の壮年の男と、一人の少年
濡れたような漆黒の髪、細い肢体、大きな双眸、どこをとってもそれらは本来の歳より少年を幼く思わせた
その少年の日に焼けない白い肌が浮かび上がる
そこに在る赤い痕と未完成な少年のアンバランスさは、見る者の加虐心を煽らせるものだった
「――帝人、おいで」
男が手を伸ばし、少年を呼ぶ
“帝人”と呼ばれた少年は、男の下に歩み寄ると、小さく笑って腕の中に納まった
それでも部屋に充満する、情事の後の独特の臭いに耐え切れず、帝人はこっそりと咳を一つ零し、その幼顔を小さく歪めた
「おや、どうしたかね」
疑問に思った男が帝人に問いかける
帝人は慌てて客の喜ぶ笑顔を浮かべると、「なんでもございませぬ」と呟いた
「そうかい?…じゃあ、この辺で失礼するよ。今日も楽しかったよ、帝人」
「はい、旦那様…帝人も楽しゅうございました」
「また来るよ、それじゃあ」
男は帝人の濡れたような漆黒の髪を撫でると、上着を羽織って襖の向こうへと消えた
部屋に残されたのは、客が消えた途端感情を顔から消した少年のみ
「……着替えなきゃ、」
ぽつり、誰に聞かせるわけでもなく、少年は呟く
(早く、はやく着替えなきゃ。こんな汚れた格好じゃ、兄様に会えない。早くはやく着替えて…)
「いざや…に、さま……」
「みかど」
突如聞こえてきた声に、帝人の両目が極限まで開かれる
幼顔に感情が戻り、口を小さく戦慄かせる
慌てて声のした方に向き直れば、そこには今の今まで思っていた人物がいて、
「兄様…」
「今日もお疲れ様、帝人」
綺麗な笑顔を浮かべた男―臨也は、音もなく帝人に近付いて、その細い肢体をそっと抱きしめた
「…!臨也兄様…、だめ、です…!」
帝人は慌てて身体を離そうと押し返すが、その弱い力で適うわけもなく
結局そのまま抱きすくめられてしまった
「何で駄目なの?」
「だって…だって、僕…今汚れて……兄様も汚れてしまう…」
「馬鹿だなぁ…帝人はいつだって綺麗だよ、凄く綺麗」
臨也は薄く笑って帝人の額にキスを落とすと、赤みがかった双眸を細めて、帝人の白い肌を見つめた
そこに在るのは、情事を行った証でもある赤い痕
白い肌故に目立つそれを見て、臨也は帝人に気付かれないように顔を顰めた
(…腹立つ)
臨也にとって、自分以外がこの少年を犯しているという真実は、この上なく憎らしいものだった
『兄様……僕、陰間茶屋で働く』
幼い弟がそう漏らした日のことを今でも覚えている
親が死んだものの生活面に支障はない、俺も情報屋としてそれなりに稼いでいた
それなのに弟は、帝人はそう言った
『なん、で…どうしてそんな、』
『僕、兄様の役に立ちたい。そこで頑張れば高い地位の人にも会えるでしょう、そうしたら兄様の仕事に役立つ情報も手に入れられると思う』
だから、ぼく、がんばるから
泣く一歩寸前の顔で笑いながら呟いた小さくて愛しい弟を、壊れるんじゃないかってぐらい強い力で抱きしめた
「臨也兄様……?どうか、しましたか?」
「え、あ……ごめんね帝人」
黙ってしまった臨也を不思議に思ったのか、帝人が首を傾げて臨也に声をかける
臨也は慌てて笑みを繕い、短く切られた帝人の髪を撫でると、帝人は目を細めて臨也に身体を委ねた
猫を思わせるその仕草に、臨也は小さく笑った
この子が愛しい
初めてこの少年と出会った日から今まで、変わることのない感情
それは時として歪んだ思考を生み出すが、臨也は帝人を傷つけたくない一心で抑えてきた
これからもそう、帝人は傷つけさせない
それは、帝人を守りきれなかった臨也の、唯一無二の誓いでもあった
「臨也兄様、情報のことなのですが…」
「…そうだね、家に帰ってから詳しく聞くよ。その前にお風呂に入ろうか、帝人」
「一緒に……入ってくれるんですか」
「勿論だろう?ほら、行こう」
首を傾げた帝人をそっと抱き上げれば、小さく悲鳴を漏らしたものの、手は臨也の着物を掴んで離さない
それが嬉しくて、臨也は帝人の額に口付けをした
この歳にもなって一緒に風呂、というのは世間からしたら訝しく思われるであろう
それでも帝人にとっても臨也にとっても、互いは絶対であり、世界であり、全てであった
行き過ぎた兄弟愛、依存愛だといってもいい
それで世間から異端視されても、臨也は(帝人に被害が及ばない限りは)どうでもよかった
そう、己の世界を愛してなにが悪いというのだ
守ると決めたのだ、この手で、この身体で、たった一人の弟を、たった一人の――
(たった、ひとりの)
頭に過ぎった言葉は、奥底に閉じ込める
それに気付いてはいけない、それを押し付けてはいけない
だって二人は“兄弟”なのだから
だから、(“兄弟”の均衡が崩れるまでは)
「……今日は、どんな薬湯にしようか」
「うーんと、僕は――」
幼い笑顔を浮かべる帝人
それを見て臨也は酷く泣きたい心地になりながら、それでも束の間の安堵を逃がさないように
様々な思惑が詰め込まれた、陰間茶屋の一室を後にした