そらごと
たとえば、私が彼と結婚することになったとして、そこにかわいい子供が生まれたとしよう。いくらその子供がかわいくたって、彼との恋のいきさつを聞かれたら、私は、さあどうだろうねと言ってはぐらかすだろう。だって、彼と私の関係は一筋縄ではいかなかったし、ね、恋って素敵でしょうと子供に夢を持たせてあげられるものでもなかったからだ。
「へあ、」
「あ?」
くしゅんっ
「ざすげくん、ディッジュ」
「きたねーなー」
「うるひゃいなあ、ほ、へあ」
はっくしゅん
忘れもしない、じりじりと肌を焼く夏の日。
私は夏風邪をひきました。なぜなら、彼が私を驚かすからです。
「ずっと残ってるなんて、お前バカだろ。すぐ帰るだろ、フツー」
「フツーってなによ」
「一般的に、常識的に考えてってことだよ」
「なにそれ意味わかんない」
「わかるだろ、バカじゃないんだから」
「わかんないわよ!」
自分が想像したよりも大きな声が出てびっくりした。彼も目を丸くして、私をみつめた。
黒い瞳が私を射抜いた。悪いのは彼なのに、なぜだか私が戸惑ってしまう。きっといきついている思いは一緒なのに、うまく点と線が繋がってくれない。違う、こんなのがしたいんじゃない。私は、ただ単に、彼と素直に話がしたいのだ。
「ごめんなさい」
「…何がわかんないんだよ、昨日全部言っただろ」
昨日。
それは大雨の晩のこと。彼は私を外に呼び出した。
屋根があっても濡れてしまうようなどしゃぶりの雨の中、私に告げた。
お前のこと、好きなんだ。だから、結婚してほしい。
じゃあ、それだけだからといって立ち去った彼を、私は二三歩追いかけてどしゃぶりの雨の中立ち尽くし、夏風邪をひいた。冷静になって、家に帰ることなどできなかったのだ。
「あれは、う、うれしかった」
「…じゃあ、なんだよ」
すべてがうまくいきすぎていた。
職業柄だろうか、どうせこの世は諸行無常、変わりゆくものだと知っているから、大切なものほど遠くに遠くに置いておきたいような気持ちがあった。彼との関係が色あせていく様子も見たくないし、かといって唐突に失って、思い出にしがみついて生きたり、出逢ったことを悔やみたくもなかった。ずっと待ちわびてた彼の言葉は死ぬほど嬉しかったけど、この幸せをまっすぐ許容できるような心の無垢さはあたしにはなかった。そんな子供特有の強さは、とうの昔に失っていた。
「私は、サスケくんを幸せにしてあげられません、ばかだから」
「はあ?なんだそれ」
「だからほかの人と幸せになってください、さようなら」
「お前俺が嫌いなの?おちょくってんの?」
「まじめ、超まじめ」
「俺、昨日マジだったんだけど」
「あ、あたしもマジだもん」
「何がだよ」
「サスケくんを…好きだってこと」
「じゃあ、それでいいじゃん」
「だめなの」
「何がだめなんだよ、わかんねえ」
「マジだから」
「はあ?」
決壊したダムみたいに、口から勝手に意地汚い言葉が流れ出た。
ああ、彼との関係は終わったなあと思った。
「サスケくんはわたしが記憶も曖昧なよぼよぼのおばあちゃんになっても毎日私を抱いてくれるわけ?誰にも心惹かれずに、私だけを見つめて今と変わらずに幸せでいれると思う?そんなの無理にきまってんでしょ、どうせ冷めるんだよ、男女の仲だもん。一緒にいるのに、惰性で少しずつ色あせて忘れられるのなんて、私は嫌。永遠なんてないのよ、絶対後悔するに決まってる。愛なんて一瞬よ、私は忘れられるなんて嫌、サスケくんの中にずっといたい、だから一緒にはいられません」
「お前、そんなことで俺の一世一代の告白を断ったっていうの?」
「そんなことってなによ大事なことよ」
「俺だって永遠なんか信じちゃいねえ」
「ほらきた、やっぱり」
「最後まで聞けって。それでも、俺はお前と一緒に生きたいんだよ。後悔したって、色褪せたって、お前と一緒がいいんだ。負の感情だって全部、お前と分ち合いたい」
そういって彼は優しく、深く、私に口づけた。
鼻がつまっているから、苦しい。
薄く目を開くと、どうしてそんな悲しいこと言うんだよ、って彼が目で語りかけてきた。
悲しくなんかない。ほんとうのことよ。って私は見つめてやった。
「…してやるよ」
「え?」
「お前を永遠に、してやる」
「なにそれどういうこと」
「お前を毎日抱く、今のまま愛し続ける」
「え、いいよ、無理しなくて。疲れるし」
「なんだよお前が言ったんだろ」
「サスケくん手加減しないでしょ…」
「そりゃ、好きだからな」
くしゃっと彼が笑う。ほんとうに彼は私とひとつになりたくて仕様がないのだろう。
私はまだ彼の言う永遠なんか信じちゃ居ない。それでも、今はこうして狂おしいほどわたしを必要とする彼の気持ちは本物なのかもしれない、そう思うと、ふいにおかしくて、たまらなく彼を愛しく思った。彼が結果的にうそつきになっても、それを許せるような気がしたのだった。
「…あたしも、好き」
「なんだ、素直だな」
「毎日抱いてくれなくてもいいよ」
「やだよ、俺、結婚したらそうする気だったもん」
「うそ」
「ほんと」
どれだけ欲求不満なの。
それでも、今は笑って許せるような気がした。
彼だったら、何をしてもどうなっても、許せるような気がしたの。
よろしくおねがいします、と私が言うと、彼は顔を真っ赤にして、夏風邪をひいてしまったようだった。