池袋23:45
池袋23:45
「返済期限過ぎてるの、知ってるよね?返済期限て、作家の締切と同じに考えちゃだめだよ。あれ最初の締切とか2度目の締切とかこれが最後の締切とか段階あるらしいけどさぁ、返済期限ってのはもう後がないんだよ。待てないの。どっからでも都合して、200万、今日中に・・・あと何分だっけ静雄」
「15分っすね」
「15分で200万かー。何か即金になりそなもん持ってる?」
無理です無理無理無理無理、せめて明日まで、と扉の内側で細い声がぼそぼそと言った。
「無理じゃねぇよ。そこのむじんくん行って来いよ。お前の父親母親兄弟親戚中から名前借りて金借りろよ。で、死ぬ気で返せ」
そんな横暴な、とまた声が聞こえる。アパートの2Fで、扉は木製で、とてもやわらかそうだな、と思う。
「俺のどこが横暴なの。俺はまともな話してるよ?何もお前の人生相談に付き合ってやる義理はねぇんだよ。ったく知るかてめぇの都合なんざ」
言葉がちょっと乱暴になった。
靴で扉を蹴りつける。木製だから、あまり派手な音はしない。
鉄だと迫力出るんだけどな、と前にトムさんが言ってた。
そろそろかな、と思う。
トムさんが振り返る。
「静雄、ここ開けて。もうお隣さん寝てるだろうからやさしーく、な」
「はい」
トムさんと入れ替わって扉の前に立つ。
やさしく。
鍵とチェーンの付いた扉。
ノブを引くと、ガコ、と音がして、チェーンに引っ張られる。
空いた隙間に、つま先を入れる。
三和土に座り込んだ男が見える。
「か、鍵・・・」
「人の顔を、指差すんじゃねぇ」
扉の上部に手をかけて、蝶番から引きちぎる。
ほら、やっぱりやわらかい。
「あああ!ドアが」
「うん、寒い時期じゃなくてよかったな?」
トムさんが後ろからのんびりと声をかける。
「じゃ、行こうか、むじんくん」
***
今日の締めの仕事がそれで、トムさんにすれば、「楽」な部類とのこと。
常習でなく、ブラックリストにも乗ってない、きわめて初心者な客は、結局無人契約機には行かず、実家に泣きついた。
中流家庭で、多少政治的なご実家から、200万と勘当をもらったご本人は泣いていたが、たぶん両親も嘆いている。
さすがにあれから15分以内は無理だったが。
「そら、息子が風俗通いで仕送りゼロにしただけじゃ飽き足らずマイナス200万まで行ったら嘆くわな」
「はぁ。まだ学生だったんすね、あれ」
「老けてたな」
「ですね・・・」
事務所に戻ったらもう誰もいなかった。
集金鞄を金庫に入れて、戸締りして外に出る。
事務所の入ったビルを下から見上げると、まだ明かりがついているフロアがあった。
この辺でよく見かける野良猫が、足元をすり抜けてビルとビルの間に消えていく。
「ちょっと遅くなったなー。うち来る?」
カチ、とライターの音がして、トムさんが煙草を口にくわえて火をつける。
その仕草に見とれて、台詞が耳を通過してから、遅れて意味が伝わる。
「え、あ、じゃあ、はい」
煙草を指に挟んで、ふっ、と最初の一息が吐き出され、
「煮え切らねぇ返事」
じゃあ、って何。
と少し不快げに下から覗き込まれる。
ああ、アフターの顔だ、と思う。
トムさんは、仕事とオフの切り替えが素早い。
視線を避けて、口元を隠す。
「顔赤い。やらしーなー静雄」
「なっ…んなことないっすよ!」
「別にお泊り=セックスじゃねぇから。だらだら飲んでしゃべってそのまま寝るのもありだから。いちいち構えるな」
「・・・すんません」
「ま、期待には応えるけど?」
にやりと、人の悪い笑みを浮かべて、煙草を持っていない方の手が顔に触れる。
トムさんの、冷たい手。
じゃなくてたぶん俺の顔が熱い。
「・・・・・・外なんで、あの。あんま、触らないで、ください」
期待してるように、見えるんだろうか。
見えるだろうな。実際期待してるし。
トムさん見てると、仕事中でもふわふわする。
いけないと思いつつ、触りたいな、とか触られたいな、とか思ってしまう。
「そっかー?お前触ってほしそうな顔してっから」
「してません!」
「ん。ほんとは俺が触りたかっただけ」
「……たらしだ」
「キスしてほしそうな顔してんな?静雄」
「…っトムさんが!したいだけでしょ!」
「正解。よくできました」
頬から顎へ、指がかかる。
ちゅ、と軽く触れた唇に、煙草の匂い。
トムさんの。
「・・・・・・外なのに」
「ま、暗いし。人いなかったし。お前かわいいし」
「最後の違う」
「かわいいし」
「・・・・・・」
「大事なことなので2回言いました」
「トムさんは」
「ん?」
くそう、にやにやしやがって。
無駄に格好いいな!無駄じゃないけどなんつーかもう!
「トムさんはエロいっす」
「お前だろそりゃ」
「トムさんはエロいっす」
「2回言われた!?」
「大事なことなんで」
顔を見合わせて、お互いぶっと吹き出すように笑った。
「じゃ、とっとと帰って続きすんべ」
「・・・っす」
煙を燻らせながら、トムさんが歩き出す。
トムさんの後ろを歩くのがいつもの仕事中のポジション。
でも今は、隣へ並ぶ。
「ってかここ禁煙区域じゃなかったすか」
「げ。マジか」
喫煙者には辛い世の中だな、と慌ててトムさんが携帯灰皿に煙草をねじ込む。
「口さみしーなー静雄?」
「・・・・・・家につくまで我慢してください」
「何を?」
「煙草でしょ!」
「へー。ふーん。帰ったら俺が煙草吸ってていいんだ静雄は」
「・・・・・・ううう」
ほんとに、どうしてくれようか、この人。