「 拝啓 」 (2)
三ヶ月、臨也さんが海外へ赴く
教えられたのは、旅立つ日の一週間前のこと
僕はそれからまともに臨也さんと話すことが出来なかった
情報屋という職業を営んでいるあの人に、海外なんて行く必要があるのかなんてこっそり思ったりもした
だけど、この人海外の人も相手にしてたな、ロシア語だって喋れるんだし、しょうがないか
そんなことを思っていると、珍しく悲しそうな顔で『せっかく一緒に暮らせてたのに、ごめんね』と謝られた
そんな顔で謝られたら、何も言えるわけがない
いや、言うつもりはなかったけれど
寂しい、けど、しょうがないじゃないから
『気をつけてくださいね』と笑顔で言おうとしたけど、思わず言葉に詰まる
やばい、どうしよう、大学生にもなって泣きそうだ
上手く笑えなくて、上手く言葉が紡げなくて、どうしようかとおろおろしていると、不意に身体が傾いた
気が付いた時には抱きしめられていて、臨也さんの細いようでしっかりした腕が回されていて
『ごめんね、大丈夫だよ。
帝人君のこと忘れないし、ずっとずっと想ってるから。
だから、そんな泣きそうな顔しないで』
あぁ、そうか
僕は怖いんだ
この三ヶ月で臨也さんの心が離れていってしまうかもしれない
忘れられるかもしれない
戻ってきたときに、今までと同じように一緒にいることは出来ないかもしれない
そんなことを考えるくらいに、三ヶ月という時間が僕には恐ろしかったんだ
『大丈夫だよ』と呟く臨也さんも、どこか寂しそうな悲しそうな顔をしているように見えたのは、僕の錯覚かもしれない
けれど、臨也さんも僕と同じことを考えてくれていると嬉しいと思った
『一緒に行けたらいいのにね』
『大学があるから仕方ないです』
『休んじゃいなよ』
『単位どうするんですか…』
『留学ってことにしてさ』
酷く優しい動作で僕の髪を梳く臨也さんに、僕も漸く笑うことが出来た
『やっと笑ってくれた』と臨也さんが額にキスをしてくれる
額から瞼、目尻、頬、鼻、そして唇
顔の彼方此方に降ってくるキスは、とても優しくて、触れたところから融けそうだ
(臨也さん、)
(もっと、もっとしてください)
臨也さんの声、吐息、熱、僕に刻み付けてください
一日だって一時間だって、貴方のことを忘れないように
『いざ、やさん』
『…帝人君、いい、の?』
『……聞かないでください。聞かないでいいですから、だから…』
続きを言う前に身体を抱きえげられる
臨也さんの綺麗な顔が近くにあって、どきりと心臓が高鳴った
『ごめん、ちょっと今日は激しいかも』
『…しょうがない人ですね』
そんなの嘘、凄く嬉しい
激しくていい、僕を求めて僕を愛して
首に腕を回して強く抱きしめれば、心なしか臨也さんの力も強まった気がする
嬉しくて、嬉しくて、僕の身体は、僕の心は、ただひたすら臨也さんを求めていた
臨也さんが旅立つ、二日前のことだった
***
(…本当に、恥ずかしいな)
ふと頭に蘇った光景に顔中が熱くなる
いくら寂しいからって、本当に馬鹿みたいだったと思う
後悔、はしていないけれども
ここで一人で過ごすことも、最初は辛かったけど少しずつ慣れた
時間が出来るたび臨也さんはメールや電話をしてくれた
でも彼は仕事があって、僕は大学があって、どうしても合わない時が多くて
最初は頻繁にしていたメールや電話も、最近は少なくなってしまった
寂しかった、悲しかった、でもそれ以上に怖かった
しつこくして煩わしく思われるのも嫌だ
でも忘れられてしまうのも嫌だ
どうすればいいのか分からなくて、着信音を鳴らさない携帯電話を握り締めて眠る日が続くこともあった
それでも、耐えることが出来たのは、
『大丈夫だよ』
臨也さんの言葉を、信じたからだった
「臨也、さん」
キッチンでビニール袋の中身を広げて中身を取り出しながら、また呟いてしまう
(く、癖なんだきっと)
そうだ、癖だ
挨拶と同じ、つい言ってしまうだけ
それだけ
(……って、それ余計に恥ずかしいじゃないか!)
思わずぐしゃりとビニール袋を握り締めてしまい、慌てて手を離す
幸い中身は全部取り出していたため、被害を被ったものはない
ほっと息を吐いて、買ったものを冷蔵庫にしまっていきながら、
(早く、帰ってこないかな…)
罰印をつけたカレンダーを一目見て、ぼんやりとそんなことを思った
臨也さんが帰ってくるまで、あと――
作品名:「 拝啓 」 (2) 作家名:朱紅(氷刹)