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蟲の集る水槽

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そう、全ては君のためにある。と臨也は綺麗な形の唇を歪ませて笑う。だから恐がらなくて良いんだよ。さあ、飛びこんでしまいなよ。静雄の目の前には大量の蛆虫が蠢いていた。小さくて黒く細長いそれは無数に絡み合い、部屋という部屋を覆い尽くす。床に犇めき、壁を這う蛆虫の群れに、流石の静雄も眉を顰めた。こんなもの、頼んだ覚えはない。明日も仕事があるのだ。これでは幽に貰ったバーテン服のクリーニング代だけでも大変な額になるに違いない。

「なに言ってるの。もうそのバーテン服はいらないじゃない」

だって平和島静雄は今日でいなくなるんだよ、と臨也はにこやかに言い放つ。その意味を分かりあぐねた静雄は、何のつもりだ、と睨みつけた。外は真昼間であるというのに、窓すら食い尽くされた部屋は薄暗い。うじゃうじゃ。効果音に例えるならまさにそれであった。虫など怖くもなんともないが、生理的に気持ちが悪い光景に、静雄はサングラスの奥の瞳を細める。常々イカれた奴だと思っていたが、まさかここまでとは。

「まだまだあるよお。ほら、見てシズちゃん」

臨也は辛うじて無事だったトイレの扉を開け、大きなゴミ袋を取り出す。半透明の袋から透ける塊が何かなど、もう聞かなくても分かることだった。楽しそうに固く結ばれた口を解き、袋ごと蛆虫の海へ投げ込む。どさり、べちゃべちゃと押し潰しながら落下したそれは、すぐに蛆虫の波に飲まれ見えなくなった。臨也は手を叩き笑う。楽しい、楽しいねえ、シズちゃん。一匹だけ足元に転がる蛆虫を細い指で摘みあげると、ほうらシズちゃん、可愛いでしょう、と手のひらに乗せたそれを握り潰す。静雄はせり上がる胃液をどうにか飲み込み、ポケットの煙草に手を伸ばすと、かちかちと中々点かないライターを鳴らした。それに目を輝かせた臨也が、静雄の手から奪い去るようにしてライターを取り上げる。あ、と静雄が声を上げるより早く、部屋の中へ投げ込まれた、それ。

「ってめえ!なにしてんだよ!」

 一瞬蛆虫の群れの中に消えたライターは、間を置きぼうっと火柱を上げる。ぴぎゃあぴぎゃあ、やいやいやい、聞こえる筈のない蛆虫のおぞましい悲鳴があちらこちらへ反響し、静雄はおえ、と嘔吐した。焼かれる生臭い匂い、臨也の笑い声。ぴょんぴょんと跳ね回る黒い男は、わーシズちゃんのゲロきったなー、でも美味しそう!と目を輝かせた。口の中に広がる酸っぱい臭いに口を濯ぎたくとも、蛆虫が蠢く洗面台には近寄りたくもない。きっと蛇口を捻れば、水ではなく大量の蛆虫が出てくるのだ、この男ならやりかねない。虫とはこうも簡単に焼けるものなのか、と静雄は回らなくなった頭で感心する。ならば臨也もそれはそれは綺麗に焼けるに違いない。

「臨也、水、くれ」

 耐えきれない不快感に絞り出した声に、臨也は一瞬きょとん、と瞬きを繰り返し、それからにんまりと笑った。ぞくり、背筋を這う不気味さにしまった、と思うがもう遅い。水なんかないよう、楽しそうにそう言って、臨也は一歩、二歩と静雄に近付く。背後に見える赤が、臨也の瞳と重なって、静雄は動けずにひ、と喉を鳴らした。そうして首元を這うねっとりとした舌が、静雄の唇をぺろりと舐める。シズちゃんの味だあ、と頬を染めた臨也は、そのまま小さく開いた静雄の口内へと舌を捻じ込ませた。

「っん、ふう・・・やめ・・・っ」

 生暖かく厚い舌が傍若無人に動き回る。ぬるりとした感触に胃の中がまたごきゅり、と動いた。しかし静雄は額に脂汗を浮かべながら必死に喉までせり上がるそれを押し戻す。おかしい、こいつはおかしい。静雄は目尻に涙を浮かべ、ぼんやりと臨也の背後を見つめる。轟々と燃え上がる炎は、未だ床が見えないほどの蛆虫の群れを焼き尽くさんとばかりに、その身をゆらゆらと揺らしていた。ああ、こちらを呪う虫の鳴く声が聞こえる。ちゅぱ、と満足げに口を離した臨也が、御馳走様、と静雄の頬を愛しそうに撫でた。シズちゃんのおくち、ゲロ味でとっても美味しかったよお。

「・・・帰りたい」

 静雄がぽつりと漏らした声を、臨也は嘲笑し踏みつけた。帰りたいってどこにさ。ここはシズちゃんの家じゃない。あらかた燃えきった虫の残骸をぐしゃぐしゃと踏みつけながら、それでも静雄から目線をずらすことはない。衰えることを知らない炎が、ゆっくりと二人を包み込む。

「帰る、かあ・・・そうだねシズちゃん、帰ろうか」

 還る、うん、それが一番かもしれないねえ、と臨也はにい、と口の端を上げ、静雄の腕を力任せに引っ張った。重力に逆らえずにそのまま床へと雪崩れ込む。頬に張り付く焦げた虫の亡骸に眉を顰め、静雄はべりりと摘み剥がした。その手を掴んだ臨也は、あーんと口を大きく開け静雄の指を口内に招き入れる。赤い舌の上に踊る、哀れな黒い亡骸。もぐもぐと咀嚼した臨也は、ごくりと喉元を上下させると満足そうに笑った。俺達の味がするよ、シズちゃあん。静雄は無感情にそれを見つめ、蛆虫の絨毯へと身を委ねる。

「ねえ、俺達も同じなんだ。この蛆虫くん達と同じさあ」

 だから仲良くしないとね。静雄はちろちろと天井を舐め始めた炎を眺めながら、そっと息を止める。結局最後は塵は塵として焼かれるのだ。それのなんと簡単なことか。まだ息のある蛆虫がぞろぞろと二人の元へと集まる。右腕の血管から、鼻から口から、次々と侵入する同志を心から迎え入れようではないか。静雄は笑う。それに気を良くした臨也は、大量の蛆虫に埋もれながら、そっと静雄にキスを落とした。ねえ、生まれ変わったらにんげんになれるかなあ。それはお前、神のみぞ知るってやつさ。



(ごみはごみ箱へ、)
作品名:蟲の集る水槽 作家名:椋鳥