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見るなの禁忌

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――嫌になる。あんなところをシズちゃんに見られるとはね。
今更の嘆きを、罵倒を、つらつらと思い浮かべながら疾走。後ろを追走してくる男にちらりと目をくれると、槍投げのフォームに入ったその姿が見える。
溜息をつく暇もなく、軽く左に体の重心を委ねて半身を反らすと。
舞うコートの裾を掠めてきわどく、疾風をともない通過した止まれの標識が、十数歩先でガッと地に刺さる。
――いやいや、止まっちゃったら死んじゃうから。無理無理。
内心でツッコミを入れつつも、揺れる標識を足場に、反発を利用した跳躍。
幸い裏路地には、よじ登るに最適な非常階段がそこらかしこに散在しており、目測で一番近い階段を見据えるやいなや、一気に壁面を駆け、二階の踊り場への移動を開始する。
手摺りを掴み、柵を軽く乗り越えて、このまま引き離すために勢いよく階段を駆け登り、屋上の扉に手をかけた。
階下から響く音がせまるのを聞き、押して開かない扉は見捨てて隣接したビルの階段へ。先程のビルよりも高い屋上に到達する頃に、どぉんっと響く轟音。
――扉をこじ開けたか。残念、そんなところに居やしない。遊びはもう終わりだよ、シズちゃん……さて、新宿に帰ろうか。
高低の目晦ましも仕掛けた、悠々とビル群の挟間を飛び越えて左右上下、十も数えれば撒けるはずと考えていたのに。

逃れた先の小さな公園、遊具の影で震えはじめる全身をかばうように潜んで、乱れきった息が整うのを最低限の呼吸で待つ。
ひゅ…ぅ、はっっぁ。ひゅ…う。
埒があかないと、後半一時間は残る力を振り絞り、全力で車道を抜けてみたりもした。もうかなりの距離を稼いだはずだ。
――いつもは、ここまで執拗には追ってこないのに、どうしたっていうんだろう。
うまく廻らない脳内で、公園で彼と会ったときの様子を回想する。子供がいることで静雄がためらうのは解っていた。リッパーナイトを境に、彼は随分と優しくなった。自分以外の人間には。
――ナイフを閃かせて牽制した俺の後ろを、怪訝な顔で見ていたっけ。
後にしてくれと、言い置けば、今日は気分じゃなくなったと立ち去るかと思っていたのに。なぜかずっと待っていた彼が、不思議そうな顔をしていたのは覚えている。

統括するリャナンシー達の中では、最も初期に最愛の男を捕まえた少女、そしてその子供。生まれた際に乞われるまま、名前を付けた。
気まぐれに会ってはその成長を眺めるのも、人を愛すことの一環だった。
笑いかければ笑う。悲しめば悲しがる。そうやって人の真似をして成長する。ヒントを与えれば吸収して柔軟に考え出す。その純粋を楽しんだ。
浅からぬ縁を持つ子供を、誘拐者から取り戻し母親の元へ返すのが、今日の依頼。久しぶりにあったその子は、ひどく怯え、なだめるのも大変で。
そんなところを見られた。折原臨也として彼の前に立つのとは別の顔を見られた。
――くれてやるつもりもない表情を見られるのは実に業腹だ。
さっさと忘れてほしかったから殊更に、あの時挑発したのだ。すぐに上書きされてしまえばいい、自分は変わることなき「敵」であると。

ようやく正常化した呼吸に疲労しきった身体を叱咤して、のろのろと暗がりから抜け出す。とっとと新宿に帰って眠りたい、そんな事を漫然と考えながら大通りに向かおうと俯けていた顔をあげ、硬直する。
公園の入り口にある街灯の下で、煙草を燻らせたバーテン服の男がこちらを向いて立っていた。光と影が、彼を彩り、逆光の所為でその表情は窺えない。金の髪が、煙とふうわり夜風になびいて。
「し、シズちゃん……」
煙草を消し、携帯灰皿に仕舞うとゆっくり近寄ってくる。どこか異様な雰囲気に打たれ、立ち竦む自分の二の腕を片手でしっかりと掴むと。
「捕まえた」
ただ一言、そう囁く響きに戦慄した。とてつもなく恐ろしい事が起きた気がして。
――見るな、見てはいけない。きっと後悔する。
頑なに、そむけた顔を柔らかく拘束され、いやいやと頭を振るも、月下に顔を晒された。目を伏せていてもわかる視線。
彼が見ている。
ただ、じっと自分の顔を見ている。
――俺を見るな、見てはいけない。きっと後悔するよ、シズちゃん。
作品名:見るなの禁忌 作家名:深那