にび色の誓い
けれど、奇妙な胸騒ぎや違和感が拭えない。
そのせいでつい、当たり前のように帝人の傍にいる青葉を凝視してしまった。青葉はそれに機嫌を悪くすることはなかったが、邪気なく向けられた笑顔に何とも言えない気持ちになった。
杏里の不安が杞憂であればいい。しかしそうでないなら、杏里はどうすればいいのだろう。
(もし、紀田くんがいてくれたら…。)
正臣はノリの軽い楽天的な雰囲気を持つ少年だが、機微に聡く相手が気後れしないよう気を使うのに長けていた。帝人に感じる違和感も、正臣ならよりはっきりと感じ取って何かしら対処出来ただろう。
だが、正臣はいない。代わりのように青葉が現れたが、空いた真ん中に無理やり収まろうとしている感があり、しっくりとこなかった。
杏里にとって帝人は、額縁から出て傍らに寄り添ってきてくれた大事な人間だ。もし悩みがあったり苦しんでいたりするなら、杏里が役に立つとは思えないが出来る限り力になりたいと思う。
「浮かない顔をしているね。」
そんな風に考え事をしていたからか、背後から声をかけられるまで、その男が近付いて来ているのに気付いていなかった。
素早く身構え振り返れば、そんなに警戒しないでよと、折原臨也が微笑んでいた。
「折原さん…。」
「やあ、久しぶりだね?」
話しかけてくる臨也は、やけに気安い。ただの知人のように、以前顔を合わせた時のことなど匂わせるものはひとつもなかった。
杏里は表情を変えずに、距離だけは一定を保つ。
「…入院なさったのではなかったんですか?」
さらに言えば、けっこうな重傷であったはずだ。詳しくは、わざわざ子どもたちを使って調べるほどの興味はなかったので知らないが。
臨也が一瞬、嫌そうに顔をしかめた。
「ああ、やっぱり知ってたか。」
「ニュースでやってましたから。」
「だよね。あんな堂々と名前出されちゃって、ちょっと恥ずかしかったよ!」
「はあ…、」
「でもさあ、そうなると薄情だよなあ。帝人くんってば。」
突然臨也の口から出て来た帝人の名前に、杏里の表情に血が通う。その反応に、臨也は人好きしそうな笑みを見せた。だが、よくよく見れば紅い瞳の奥は冷たく凍っている。
「何を、言って、」
「だってそうだろう?ニュースを見て俺が入院中って知ってるくせに、一度も見舞いにさえ来てくれなかったんだから。」
「…それは、そこまであなたが親しくないからじゃあ。」
「あはは!君も言うねえ。でも、俺と帝人くんはとっても親しいんだよ。君が知らないだけで。」
「……。」
「ああ、ごめん。傷付いちゃった?大丈夫、安心してよ。帝人くんは君が大切だから、何も言わないだけだからね!」
だから何も知らないのは仕方がないと、言外に言われている気がした。
「なんたって、君は帝人くんの大事な大事なお姫様だからね。あんなにわかりやすく好意を示されているんだ、君だって気付いているだろう?」
「それは、」
「ああ、興味ないかな?ただの友達のままのほうが楽だろうしねえ、君は。」
愉快そうに、臨也が喉を鳴らす。口を動かしながらも、臨也の眼は杏里の小さな反応ひとつさえ見逃さないと言わんばかりに、冷静だった。それは、観察する者の眼だ。
杏里は、ゆっくりと瞬きをする。内側から溢れる罪歌の声に、耳を澄ませた。
「…私は、違います。お姫様なんかじゃないです。」
瞼の下からあらわれた杏里の瞳もまた、紅く染まる。少女の柔い手には、似つかわしくないまがまがしい刀がおさまっていた。
「私は、…王子様になります。帝人くんの。」
刀の刃先を臨也に向ける。詳しいことはわからなくても、元凶の一端をこの男が担っていることだけは予想がついた。
「あなたの持つ毒林檎なんて、絶対に食べさせません。」
「…ふうん?俺は継母扮する魔女なんだ?それでその刀で、口にするより前に毒林檎を叩き斬るってこと?」
例え何も知らされなくとも、帝人を守りたい。幸いにして、杏里にはそうする為の力も情報網もある。帝人の杏里を巻き込みたくないという望みを無視する形になるが、どうしてもそこだけは杏里とて譲れない。
「まあ、頑張ってよ。」
刀を構える杏里に降参と両手を挙げ、臨也は片目を瞑る。その姿は、腹が立つほど様になっていた。