千夜一夜 第一夜
砂漠の夢をみる。
モンゴルにあるとかいう(社会で習った)ゲルとかパオとかいうテント似た、しかしもっと重厚な、それこそ幕府と呼べそうな白い布の奥で古泉は目を覚ました。
首筋、背中に、汗が引いたひんやりとした感触がする。腕に鳥肌が立っていた。間接照明のような、よわよわしい光が影を作る。別のテントにだれかいるようで、そのだれかは古泉の影を見て、起きたことに気づいたようだった。
「目が覚めました?」
そろりと白い布を持ち上げて入ってきたのはみくるだった。
その姿に古泉はぎょっとする。
『アラジン』に出てくるヒロインのようないでたちだった。口元を少し透ける布で覆い、ゆるやかなシルエットを描くベアトップとパンツを身につけている。腹部はむき出しで、そしてその肌の白さのため、何か見てはいけないものを見ているような気分になった。
「昨日も夜まで書き物をされてたのに、無理に日中外に出るから。覚えてますか?倒れたんですよ、神殿に行く途中」
「神殿?」
「ええ、でも大丈夫です。神殿に着く前だったので、神殿を汚してはいません。あとちょっとで咎人となるところでした」
心配そうに云って、みくるはそっと古泉の髪を整えた。
古泉は混乱していた。奇妙な世界にもだが、なによりみくるが親しげに話しかけ、しかも気軽に触れてくることに。
どうしようかと考えて、正直に尋ねた。
「あの、」
「どうしました?」
みくるは真っ直ぐ古泉を見る。その瞳に、いつも古泉が感じる、そして嫌悪する卑屈さは無かった。
「あなたは、朝比奈みくるさん?」
みくるは笑った。それから立ち上がり、部屋の片隅にあった壷から水を救い、切子のコップに注いだ。深い青色をしたコップを差し出しながら、みくるは云う。
「倒れたときに頭でも打ちましたか?今更そんなことを聞かれるとは思いませんでした。私はたしかに朝比奈みくるですよ。あなたとおんなじ神官です」
コップの水は冷たかった。それを飲み干しても目の前のみくるがいなくならないので、どうやら夢ではないらしい、古泉は思った。
「どうやら多少頭が混乱しているようです。思い出すためにちょっと質問をしていいですか?」
「ええ、勿論です」
みくるは古泉からコップを受け取って、それを盆の上に置いた。螺鈿装飾の施されている盆は、ろうそくの明かりをうけてきらきらと光った。
「僕達が仕える神とは?」
「神は神です。しかし神は人の名を持ってもいます。我々は今転生している神を、涼宮ハルヒと呼んでいます」
「神は女性?我々と同年齢の?」
「そうですね、神は私たちと同年齢に見える肉体を有しています。もっとも魂はもっと永遠に近い歳月を過ごしていますが」
「キョン、と呼ばれている人は?」
「キョン君も同じ神官ではないですか」
みくるは笑う。
「長門有希も?」
「ええ、彼女は知の名を拝命した神官です」
みくるは少し不安そうに古泉を見た。古泉は自分の何が、彼女にそんな瞳をさせているか理解できなかった。ゆっくり床から出て、立ち上がる。テントは十分な高さがあり、見上げると星座が描かれていた。地学を専攻しなかった古泉は、それらの名前を忘れていた。オリオン、そんな名前だったか。三連星を見て思った。どうやら全く違う世界――地球以外、ではないらしい。
平行世界、か。古泉は思った。
それから白い布をくぐり、外を確認した。一面の砂の世界。ああ、アラビアン・ナイトの世界のようだと思った。視界にはぽつぽつとテントが入る。そのずっと奥に、少しだけ木がはえているのが分かった。隣には石造りの重厚な建物がある。おそらくあれが神殿だろう、見当を付けた。
そうやって一々を確認している古泉の背中に、みくるは問いかけた。
「もしかして、古泉君はほんとうに全て忘れてしまったのですか?」
振り返る。みくるはぎゅっと握りこぶしを作っていた。
「僕は、まだ何か忘れているようですか?」
出来るだけ慎重に、言葉を選ぶようにして古泉はみくるに尋ねた。
みくるは少し気まずそうにして答えた。
「昨日、神が婚姻を命じたことをお忘れになったんですか?」
そこで目が覚めた。首筋、背中にひんやりとした感触が残る。心臓はばくばくと、マラソン後のように鼓動していた。咽喉が渇いている、思った後、ああ、夢だったのか、古泉は思った。どうやら昼寝していたら、そのまま眠り続けたらしい。時計は深夜二時を指している。ようやくその温度を抑えた微風に、閉め忘れたカーテンが揺らめいている。ゆっくりと起き上がり、窓辺に寄る。
網戸の向うにぽつぽつと明かりが見えた。
なぜあんな夢を見たのだろう。願望?まさか。否定してみる。しかもなぜ砂漠。この暑さが夢に影響したのだろうか。考えながらのろのろとカーテンを引いた。
さいごのみくるの言葉を思い出す。
誰が婚姻するのだろう?
自分が?朝比奈さんと?
古泉はそれを自分の願望というより、神の言葉を予言したのでは、と感じた。
なぜなら、彼ははっきりと彼女を嫌悪している。
あの瞳を嫌悪しているのだ。