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千夜一夜 第二夜

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第二夜



東方の光る星の下へ。
女はすっぽりと全身を覆う、粗末な布を身につけていた。手にしているのはなにやら文様が刻まれた杖だ。古泉ははっとして、女の顔を確認した。

まただ。

ずきりと頭が痛むのを感じた。


驢馬の引く荷車には、うんざりするほどの干草がつんである。隣の街には馬小屋はあっても干草がないので、こうやって持って行くだけで金になるのだという。
「どうして東方へ?」
古泉は尋ねた。
荷車に座っているのは二人きりだ。
「私の村にいる預言者さまが、東方に神がいると仰ったので」
昨日の今日だ。夢であることぐらい古泉も承知していた。それでもこの夢の意図が知りたくて、詮無いことだと分かりつつみくるに尋ねてみるのだ。
「なるほど。あなた方の神はどのような方なのですか?」
みくるはあたまにフードのようにかぶせていた布をといた。すこし茶色みがかった長髪は、この何もかも見慣れない世界で心安い。現世での、とりつくろった表面上の友好関係と比較すると、何だかおかしかった。
「我々の神は、人の子として生まれてきます。そして、人の子として死ぬ。何度も何度も、生まれて死んでを繰り返すのです」
みくるは答えた後、頭上を指差した。
「あの、一際光る星。あの星の下に我々の神がいらっしゃるそうなんです」
古泉もつられて頭上を眺める。きらめく光が強いと思うのは、気のせいか、空気のせいか。
「神に会った後、あなたはどうするんですか?」
「弟の病気の平癒を願います」
「…、弟さんはご病気で?失礼ですが、どのような、」
みくるは穏やかに笑った。
「生きながら腐りゆく病です。村にはそれがのろいだという方もいらっしゃいますが、預言者さまはそれは我々が神に十分に供物をささげないからだと説明されました。なので私は供物をささげにいくのです」
弟、それは彼のことだろうか。それとも全然違う誰かのことだろうか、古泉は思った。

沈黙が広がる。
暗い夜道を、のんびりと歩む驢馬、驢馬を遣う老人、そして古泉とみくる。世界にそれだけしかいなくなってしまったようだった。


「あなたはどこへ行かれるんですか?」
とても穏やかな、凪いだ海岸線のようだ声だ。古泉は思った。
「僕は、なくしたものを探しに行きます」
この夢の世界もひとつの現世なら、自分は何も知らない。自分が自分なのかすら。そして、この世界の意図も知らない。抜け落ちた記憶はどこにあるのだろう。
「そうですか。何か大切なものをなくされたのですか?」
「…ええ、おそらく」
それすら定かではないのだ。古泉はひっそりと絶望した。
「それは大変な旅でしょう」
「そうでもありません。ところで、あなたは大変身軽に見受けられるのですが、何をささげるのですか?神に」
古泉は軽い気持ちで問いかけた。しかし、一瞬にしてその問いは過ちだったと気づいた。空気が凍るのを感じたからだ。
「そうですね…ええ。隠してもしょうがないことだから云いますが、供物は私自身です」
ああ、やっぱり。聞かなければよかった。古泉は後悔した。どうだろう、彼女は泣くだろうか。ちらりとみくるのほうへ視線を向けると、彼女はその声同様穏やかな表情をしていた。
「火で、生きたまま焼かれるそうです。痛いでしょうか?…でも、私は弟が大切なんです。そんなこと何でもありません」
「…弟さんのお名前は?」
「一樹です。良い名前でしょう」
古泉は今度こそ心臓が止まるかと思った。何故?何故?
昨日は婚姻相手で、今日は姉弟。どんどん近くなっているのだろうか?
明日には彼女から生まれる?
そんなまさか!
酷く混乱した。

「あなたのお名前は、何と仰るんですか?」


そこで古泉は目が覚めた。
部室だった。
ああ、今日は休みだといわれたのに、うっかり部室に足を運んでしまったのだった。
それから、何の気はなく本棚の本を取り出して、ちょっと読みすすめたところで眠ってしまったのだった。
全てを了解した。
時計を見ると七時を少し過ぎたあたりだった。夏の長い陽が、ようやく沈もうとしていた。

明日も夢を見るのだろうか。
なぜ自分は夢を見るのだろうか。
古泉は思った。


作品名:千夜一夜 第二夜 作家名:おねずみ