幸せは白い鳥
この部屋は病院のそれよりも狭いかも知れない。天井も低い。畳は掃除を怠るとすぐに埃っぽくなってしまうだろう。それは決して、病み上がりの彼女にとって好ましい環境ではない筈だった。
それでも白く塗り潰された病院とは違い、藺草や木の色で溢れ、窓からは心地よい風が入り、すぐ近くには温かな人達の笑い声や笑顔。
大好きなヒトの、心からの、笑顔。
「千穂?」
どうしたの、と首を傾げる鈿女に千穂は緩く首を振る。
「こんなに、幸せでいいのかな、って」
「良いに決まってる!」
今にも泣き出しそうな表情で抱きつかれ、あまり力のない千穂はそのまま床に倒れ込みそうになるが、そこは加減したのだろう、強く抱きしめられただけだった。
「千穂は、千穂だけは幸せになってくれないと、あたし……」
何のために生きてるのか分からない、そう言う声はどんどん小さくなっていく。うん、と小さく返して千穂も、弱い力ではあったが鈿女を抱き返す。
希いながらもどこか諦めていた幸福だった。窓越しにしか空は見られないのだろうと。二度とこの足で駆けることは出来ないのだろうと。自分はあの白い部屋で独り、朽ち果てていくのだろうと。
それを諦めたくないと思わせてくれたのは綺麗な綺麗な白鷺だった。
医者と看護士以外に誰も来ない病室にいつも窓からやってくるから、締め切りがちだった窓は開けっ放しになった。空を見ようと笑うから車椅子ではあったけれど外へ出るようになった。生きてと鈿女が願うから生きることを諦めるのを止めた。
鈿女がいたから、千穂は今ここにいる。
「あたしはどうなっても良いんだ、千穂が幸せなら」
その鈿女が、自分を盾にされ望まぬ闘いを強いられていると知った時、千穂は己の無力を嘆いた。声を押し殺して泣いて、涙が枯れて、そして決意する。
病を治す。治して、自分の足で鈿女の隣に立ち、そこが戦場であろうとも自分の足で追い、たとえどんな結果になっても彼女の全てを受け入れる。そのためなら未認可の新薬を投薬されても構わない。それが千穂なりの葦牙の覚悟だった。
「うずめちゃんが、もしいなくなったら、わたし、悲しいよ。うずめちゃんが悲しくても悲しい」
宥めるように鈿女の背を叩きながら千穂は言う。
「悲しくて、寂しくて、……死んじゃうかも」
その言葉に鈿女は顔を上げる。泣き出しそうだったその目には涙が溜まり始め、瞬きでもしたら流れて血色の良いその頬を濡らすだろう。
「だからね、ずっと一緒にいて」
少し開いてしまった距離を今度は千穂から縮める。離れないように、と願いながら。
「一緒に幸せになろう」
ついに鈿女の頬を涙が伝うがそれをはっきりと見る前に、千穂ぉ、と弱弱しい声で彼女を呼びながら再び強く抱き、そしてこの場が縁側であるにも拘らず押し倒される。
「う、うずめちゃ……」
「千穂、ちゅーしよ、ちゅー」
う、とやや唇を突き出す鈿女に困惑しつつ、拒めずにいると
「出雲荘は不純異性交遊禁止です」
美哉からおたまが降ってきた。コーン、と良い音を立てて鈿女の頭へと落ちる。
「いってて……。異性じゃないからいーじゃん」
「異性だろうと同性だろうと、不純交遊は禁止です。しかも縁側で」
「えー、じゃあ部屋行こ。部屋でいちゃいちゃしよ」
「そうしたければまず家賃を払いなさい」
軽口を叩き合う2人に、しぜんと口元が緩む。
ああ幸せだなぁ、と。