ダーチャにて 3
日中の畑仕事を終え、シャワーで汗を流して休息を挟んだ後、料理など殆どしたことがないからと言ってソファから動こうとしないアメリカを、働かざるもの食うべからずの一言で、ロシアがキッチンに蹴りこんだのがかれこれ2時間前のことだった。
数々の波乱と苦難を乗り越えて、結局手間が2倍になっただけかもしれない、と漸く完成した遅い夕食を前に、ロシアはぐったりと息を吐いた。
いそいそとテーブルに食器や鍋を運ぶアメリカは、そんなロシアの疲れた様子を一顧だにせず、タンクトップ1枚に短パンのお気楽な格好で、鼻歌まで歌っている。
「ロシア! 早く食べようじゃないか! 折角俺が作ったスープが温くなっちゃうんだぞ!」
シチーを作った? 邪魔しかしてないじゃない、と言いたいのをぐっと我慢して、ロシアは切なく微笑んだ。
「……そうだね」
いつもの倍の時間が掛かっているので、いい加減空腹も限界だ。ロシアは冷凍庫からウォトカを取り出し、アメリカへは少し悩んで、軽目のビールを取り出した。
ダイニングのテーブルには、バスケットに盛った黒パンにバター、今日穫れたキャベツとじゃがいもをたっぷり煮込んでディルを沢山浮かせた冷たいシチーと、やはりじゃがいもと玉葱で詰め物を作ったピロシキ、それに作り置きしていたビーツと人参のヴィネグレットにニシンの酢漬け、あとはお手軽に冷凍ペリメニを茹でてサワークリームをかけただけのものが並んだ。内容はいつもとそう代わり映えしないが、量が半端ではない。普段ロシアが食べる倍以上にもなっている。その山盛り具合にうんざりとする。
既に席についていたアメリカの向いにロシアが腰を下ろすと、アメリカは乾杯もせずに早速ピロシキを器に取って、がっつき始めた。
「熱いから火傷するよ」
「ふがっ、ふぐっ!」
言った尻から、アメリカはかじりついたピロシキを口から放し、慌ててビールを口に含んでいる。バカだなあ、とのんびり眺め、ロシアはまずウォトカをなみなみと小さなグラスに注ぎ、今年の収穫に乾杯、と一人呟いてぐっと飲み干した。強いアルコールが、じりじりと喉を焼きながら胃に落ちていく感触を、心地よく味わう。2杯目は今年の自分の健康に乾杯して飲み干し、3杯目に洋上の同胞に、と呟いて飲もうとしたところに、アメリカが慌てて自分のグラスを差し出してきた。
「一人で乾杯するなよ! 水くさいじゃないか!」
「君が先に食べ始めちゃうからだよ」
「一声かけてくれたっていいだろ。何に乾杯してたんだい?」
「うちじゃ3杯目は、今海の上で働いてる同胞に乾杯する習慣なんだ」
「へぇ、いいな、それ。じゃあ俺も」
決まり文句を口にしながら目の前にグラスを掲げ、二人それぞれグラスを空にする。空っぽの胃にアルコールが染み渡り、熱を発して一層食欲をかき立てる。
既に2つ目のピロシキを頬張っているアメリカに呆れながら、ロシアは大鍋のシチーを自分のスープ皿に取り分けた。一口含んで、うん、と考え込む。冷蔵庫で冷やしていたが、鍋が大きすぎて冷え具合が今一つなのが残念だった。
「うまいかい」
アメリカがじっとロシアを見つめていた。
「僕が味付けしたんだから、おいしいに決まってるじゃない。もう少し冷えてると良かったけど」
「そりゃそうだけどさ、俺だって手伝ったんだから気になるんだよ」
やわらかいキャベツの甘みと、ディルの清涼な風味が広がるのを感じながら、ロシアはそんなものかな、と肩を竦めた。
「君も食べたら解るでしょ」
「俺じゃなくて、君がうまいと言ってくれるかどうかが問題なんだぞ」
「ふうん、そうなの。じゃあピロシキはどう?」
「うまいよ! 俺昔っからこれ好きなんだけどさ、昔のとはちょっと違うよな」
こんがり焼けたピロシキを手に持って、しげしげ眺めながらアメリカが首を傾げる。かじられた箇所から、ほかほかと湯気が立っている。炒めた玉葱とじゃがいもの良い匂いに鼻を擽られ、ロシアもピロシキに手を伸ばしてかぶりついた。パンとパイの中間のような生地に、野菜の甘みが染みて、何も考えなくても咀嚼が進む。
「最近は揚げるより焼くのが増えてるからね。うちも遅ればせながらヘルシー志向が流行りなんだよ」
「そうなのかい。中にミンチがみっしり詰まった揚げたての奴、うまかったのになあ」
「そんなのいつ食べたの」
「俺んちにだって、ロシア料理の店くらいあるんだぞ。また揚げたのも作ってくれよ」
「気が向いたらね。そのうちにね」
ピロシキの合間にニシンの酢漬けを摘んで、ロシアはウォッカを呷った。静かに食べてくれないかなと思うが、何を口にしてもいちいちうまいだの、おいしいだの叫ばれて、悪い気はしない。ピロシキを食べきったアメリカは、今度はペリメニを皿に盛り始めた。
「このペリ何とかっての、ラザニアとか餃子とちょっと似てるな」
「ペリメニ。ロシア風餃子とも言うからね」
ロシアの言うことをふんふんと聞きながら、アメリカがスプーンで3つ一気に掬って、ぱくりと口に入れる。そしてもごもごと頬を膨らませて、これもおいしい、と呟く。
「皮がもちもちしてていいな。そういや君んちでよく出るけど、このクリームは何だい? 濃くてうまいよ」
「サワークリームだよ。濃いけどさっぱりしていいでしょ」
「うん、幾らでも食えそうだぞ」
「結構カロリーあるよ、それ」
ロシアもペリメニを取り分け、1つずつ口に運ぶ。ぷるんとして厚みのある、もちもちした皮の中は、ミンチにした豚肉と玉葱が詰まったシンプルなものだ。濃厚なサワークリームやウォッカとよく合うので、ロシアも気に入っている。何より、茹でるだけで簡単に食べられるのが良い。
向かい側にはかつての天敵がいるのに、妙に穏やかな食卓だった。この場所で、こんなに穏やかに、誰かと食事をしたのはいつぶりだろう、とロシアは半ばアルコールの回った頭でぼんやりと考えた。アメリカは相変わらずあれもこれもと手を伸ばしては、がつがつとうまそうに料理を口に運んでいる。いっそ気持ち良いほど、見事な食べっぷりだ。
こんなにうまそうに食事をする姿を見せられると、食べ慣れたあれこれが、まるで見知らぬ美味なごちそうのように思えてくる。
「ロシアもさ、飲んでばっかりいないで、もっと食べろよ。君の料理、うまいんだぞ」
「……そう?」
こちらの心を見透かしたように言うアメリカに、内心で驚きながら、ロシアは素直に頷く。思い切ってアメリカを真似て、シチーのキャベツを口一杯、行儀悪く頬張ると、もぐもぐと大きく口を動かしてみた。甘いキャベツの汁が口の中を満たす。飲み込むのにえらく時間がかかったが、こういう食べ方も悪くないような気がする。
「ほんとだ。おいしいね」
そして、ぽかんとして口を開いていたアメリカに、ロシアはにっこり笑って見せた。