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トランバンの騎士

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 最後の一段――と、地面に佳乃の足が着くと、頭上からエンドリューの声が聞こえた。
「……先ほど、僕が変わったとおっしゃられましたよね」
「え?」
 一瞬なんの話かと、佳乃は瞬く。
 それから、すぐに屋根の上での会話ではなく、孤児院の前での会話の続きだと気がついた。
「僕が変わったのだとしたら、あなたが変わったからだと思いますよ」
「……変わりましたか、わたし?」
「ええ」
 変わったと言われても、佳乃にそんな自覚は無い。ただ、子どもの世話や、畑仕事は覚えた。そういう意味では確かに『変わった』のかもしれないが、エンドリューの言うことは、おそらくそういう事ではない。
「以前のあなたは、ニコニコと笑いながらも、どこかで『線』を引いていた。子ども達と同じ場所にいるのに、まるで別の世界にでも立っているかのような『線』が」
 佳乃の事情を知っているはずはないのだが、核心をついたエンドリューの言葉に佳乃は口を閉ざす。
「……それが、今は感じられません」
 子ども達が悪戯をすれば、それに応じて佳乃は怒る。
 それはつまり、子ども達と同じ位置に立っているという証拠だ。壁に向かって説教をする人間はいない。同じ世界に生きる対等の人間だと認識しているからこそ、怒るのだ。
「僕はそれを、とても好ましいことだと思います」
 微苦笑を浮かべたエンドリューを見上げ、佳乃は視線を落とす。
 耳が痛い。
 エンドリューの言葉通り、ある意味で自分と子ども達は住んでいた世界が違う。
 エンドリューの言葉は佳乃にとって嬉しい言葉ではあったが、素直には喜べなかった。
「……わたしは――



 とっぷりと日の暮れた街道を、馬の背に揺られながらエンドリューは進む。
 ゆらり、ゆらりと揺れる馬の背で、エンドリューは懐に忍ばせた蒸しパンに手を伸ばす。
 雨漏り修理のお礼にと佳乃が作った蒸しパンは、佳乃の勘違いにより住人の数よりも多く出来上がっていた。数が足りないよりは良いが、多いというのも困りものだ。大きな塊であれば皆で均等に分ければよいが、分けるほどの大きさはなく、また数もない。結果、早い者勝ち――と抜け駆けをしようとしたアルプハに女の子達が一斉に抗議し、現在エンドリューの懐に納まることとなった。
 子ども達から『いつもありがとう』の気持ちを込めた、イグラシオへのお土産として。
 食堂での喧騒を思いだし、エンドリューは苦笑を浮かべる。
 それから、指先に触れた蒸しパン――すでに冷めきってしまっているが、出来立てはとても温かく、美味しかった――に眉をひそめた。
 気が重い。
 イグラシオになんと報告をすれば良いのだろうか、と冷たい包みに触れながら考える。
 ネノフにも子ども達にも変わりはなく、佳乃も孤児院での生活に慣れきっていた。
『『線』は確かにあったのかもしれません』
 不意に佳乃の言葉を思いだす。
 梯子から降りた後、佳乃は戸惑いがちにそう口を開いた。
『わたしは、少し……『ここ』の『普通』とは違う環境に生まれたから』
 話の内容は、それほど重要ではない。
 否、重要でないといえば、やはり重要な内容ではあったが。この際、横に置いておくべき内容だ。むしろ、横に置いておきたいのはエンドリューひとりの想いかもしれなかった。
 問題なのは、佳乃の様子だ。
 戸惑いがちに話してはいたが、決してイグラシオに保護された直後のような混乱状態にはなく、以前の自分の暮らしを話せるぐらいには回復している。保護された直後は、あまりに支離滅裂な言動から、混乱しているのだろう、と佳乃を気遣ったネノフに深く言及することを止められたが。
 今の佳乃からならば、自分の帰るべき場所を聞きだせるかもしれない。
 そう思い、当然エンドリューは『帰る場所を思い出したのか?』と佳乃に聞いた。
 それを受けた佳乃は、曖昧に微笑みながら――だが、本心を言っているのだろうと判る表情でこう答えた。
『帰る場所は、最初から忘れていません』
 ただ、帰る方法がわからないのだ、と。
 相変わらず矛盾のある言葉ではあったが、それこそが佳乃にとって嘘偽りのない事実なのだろう。数ヶ月の付き合い――合った回数となると、驚くほどに少ない――でも判る。佳乃は上に馬鹿のつく正直者で、嘘はつかない。言葉が足りないこともあり、誤解を生むことも少なくはない。
 その佳乃が、慎重に言葉を選んでの結果が『忘れてはいないが、方法がわからない』だ。
 つまりは、言葉の通りなのだろう。
(……方法がわからないとは、どういう事だろう……?)
 馬の背に揺られながら佳乃の言葉の意味を考えてみるが、それらしい答えは浮かんでこない。
 帰るべき場所は、佳乃の家だ。移動サーカスの団員ででもない限り、家が移動することはない。遊牧の民であれば、あるいは家が移動することもあるのかもしれないが……トランバン周辺に遊牧民はいない。
 そして『方法』とは『目的のための手立て』だ。決められた道筋を頼りに、あるいは地図を参考に『帰るべき場所』まで歩いていけばよい。その場所が遠いのならば、馬や馬車を利用することもあるだろう。海を渡る必要があるのなら、舟に乗ることもあるかもしれない。
 が、佳乃は『方法』そのものが解らないという。
 徒歩や馬、舟では行けない場所など、あるのだろうか。
 そうも思うが――
(いや、それよりも……)
 佳乃の言葉を、イグラシオにどう伝えた物か、とエンドリューは考える。
 イグラシオは何も言わないが、佳乃の事を深く気にかけている節があった。佳乃の混乱が落ち着き、彼女が帰る場所を思い出したということは――佳乃が孤児院を出て行くという事になるだろう。
 ということは――

 深く沈む答えのない問いに、エンドリューはそっと月を見上げた。
作品名:トランバンの騎士 作家名:なしえ