狐の嫁入り
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その日は、曖昧な天気だった。
山はよく天候が変る、とはよくいったものだ。たまに風に吹かれた雲間から太陽がその顔を覗かせたり、その数時間後には通り雨が降ったりとそればかりを繰り返している。
魔実也はその日、別件を済ませ『F山』から降りて来た。
見渡す限り草原と緑の眩しい木々、そして聞こえるものといえば風の音や鳥達の囀(さえ
ず)るばかりで人っ子一人いない・・・・・・そんな整ってもいない山道を魔実也は飄々(ひ
ょうひょう)と歩いて行く。
魔実也自身そんなに急いでいなかった。下界までまだまだ距離がある。
帰っても用事という用事もないので、ゆっくりと歩いていた。
――・・・・・・ぽつ。
ふと、魔実也は帽子にあたる雨音に眉を顰めた。
また、数回目の雨だ。
――ぽつ――・・・・・・ぽつぽつ・・・・・・
雨音がその音を増やしていく。
急いで魔実也は周囲に視線を走らせた。
本格的な通り雨が来るその前に、その雨を防ぐ雨宿りの出来る適当な木を探さないといけない。
すると視線の向こうに適当な木を見つけた。小高い斜面にその木はあった。
それは、雨が強くてもしのげそうな枝が方々に広がっている大きな木で魔実也は、そこに非難するべく走った。
パタパタと雨音が服の上からでも強く降り出したのがわかる。魔実也は急いだ。
ザア―――――っ
その木に辿り付いた途端、本格的に雨が降った。
「やれやれ」
魔実也は雫を払い落としながら、恨めしげに曇天の空を見上げた。山々は雨雲がかかって霞(かす)んでいる。どうやらこの雨はひどく長引きそうだ。
山は気まぐれだ。雨が止むのも降り続けるのも山次第だ。
仕方ないので、このまま雨がやむまで待とうと魔実也は荷物を降ろして、座り込んだ。
頭上の木々を通して雨は強く弱く降り続いている。その音は単調で聞いていると、自然に心地よくなってくる――・・・・・・・・・・・・・・・・
――もし、――もし、
雨に紛れて小さな女の声がする。
うとうとしかけた魔実也がその声に目を開いた。
見ると雨はいつの間にか小降りになっている。そしてよく見ると雨でけぶる中に白い人影が見え隠れしていた。その声はそこから聞こえてくるようだ。
「誰だ?」
様子を伺うように魔実也はそう聞いた。
「もし。すいませんが、少々一緒に雨宿りしても宜しいでしょうか?」
その声が魔実也の問いに遠慮深げにそう答えた。
「別にこちらは構いませんよ。」
「・・・・・・ありがとうございます。」
すると白い人影が雨のその中から現れた。この山にふさわしくないような振袖を着た、どこか浮世離れした細面の綺麗な女だ。
「ほんの少しの間でございますので。」
女は魔実也にそういって頭を下げる。
「いえ。こんな雨です、遠慮はなしですよ。」
魔実也は微笑した。
女は目配せをすると魔実也のすぐそばに歩いて行き、佇む。
「・・・・・・失礼ですが何処かへ行く途中ですか?」
ほんの少し沈黙が訪れた後、手持ち無沙汰に魔実也はそう女に聞いてみた。
「・・・・・・はい。」
遠慮がちにそう返事が返ってくる。
「これから1人で・・・・・・に、参ります。」
「ほう。それは・・・・・・1人で大変でしたね。」
「はい。なにぶん不慣れなもので、同行した者ともはぐれてしまって・・・・・・そうこうする内にこうして雨に降られてしまいました・・・・・・」
女はまだ降り続く雨から目をそらすと俯いた。魔実也はその横顔を無言で見つめた。
「・・・・・・まぁ,大丈夫ですよ、この雨はただの通り雨だ。すぐやんでしまいますよ。」
その言葉に女が薄く笑みを浮かべる。そうですね・・・・・・とつぶやいて、視線を雨がまだ降り続く曇天の空へと向けた。
「私は――いつも思うのです。・・・・・・本当にあの人の元へ行って幸せになれるのだろうか、と・・・・・・」
誰に言うともなく女は、そうつぶやく。その瞳は何処か遠くを見ているようだ。
「あの人はとても優しい。けれど・・・・・・」
「迷っているんですか?」
「・・・・・・」
魔実也の言葉に女は俯いた。
「『初めて』やることは誰でも確かに不安だ。けれど何事もやってみないとわからない。迷うその前にまずは一歩、踏み出すことです。それから後悔した方がきっと貴女の為でもある
・・・・・・ほら、貴女にも聞こえるでしょう?」
魔実也がいうか、いい終わらない内に女がハッとしたように雨の向こうへと目を向けた。
コーン・・・・・・コーン――・・・・・・
それは遠く近く――・・・・・・木霊のような音が周囲に響いていく。そして雨のけぶる中を青白い炎が浮かんでは消えていく。
女はその音に目を瞠(みは)り思わず立ち上がった。魔実也が薄く微笑んでいった。
「さぁ、探し人が貴女を探している。この雨が上がる前にもう行った方がいいでしょう。」
女はそっと魔実也を振り向いて静かに頭を下げた。
そして雨の中を走り出す。その後姿がやがて小さくなり、やがて消えた。途端に木霊の音もぴたりとやんだ。
「・・・・・・そろそろ、やむかな。」
視界の中でみるみる内に曇天の雲が晴れていき、その向こうから青い空が覗いた。もう峠は過ぎたのだろう。
魔実也は立ち上がった。
そして女が走り去った方向を見て、それから逆の方向へと歩き出す。
あの女はあの後、探し人に出逢う事ができただろうか?
けれど、それはきっと考えなくてもわかるだろう。
「さて、と帰るとするか。」
魔実也はすっかり晴れ渡った空を見上げてつぶやいた。
視界には、山と雲の間にいつの間にか綺麗な虹がかかっていた。
fin.