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包帯

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例の無茶のせいで、当然ながら鋏は持てなくなってしまったので、店を閉めて家で大人しくしていた。Kがやたらに気を回して、何か食べたいものはないか、部屋は寒くないか、本でも読んで聞かせててやろうかと、10分おきには何か尋ねてくる始末だったので、とうとう面倒くさくなってお遣いを頼んだ。
 「ロールケーキ、クリームチーズのやつね、隣町のケーキ屋さんまでいかないと買えないから、あとちょっと並ぶかもしれないけど」
 Kはよし任せろ、と息巻いて出て行った。行く途中で迷って一時間、行列でおよそ30分、帰りにまた迷って一時間、最低でも夕方までは帰ってこないだろう。
 人心地ついて紅茶を飲んでいた。カップを持とうとするとわずかに手が震えた。片手ではつらいので両手で包むようにしなければならなかった。肩は休みなくひりひりと痛んだ。声を上げるような痛さではなかったけれど、一日中続くとさすがに体力を吸い取られるような感じがあった。ふうと息をついてソファに身を埋める。
 暫くぼんやりしていると呼び鈴が鳴った。案の定Iだった。玄関へ出るなり、具合は、と訊くので、まだ痛むけどたいしたことはないと答えてやった。彼がわたしの具合をそれほど把握できていないはずもないのだった。つい昨日、付き添われて病院へ行ったばかりなのだから。治療費はこちらが何か言う前にさっさと払われてしまった。
 「すまなかった、迷惑をかけて」
 昨日と同じ謝罪の言葉を彼は繰り返した。それはただ迷惑についてのことだった。自分があの男を早いうち捕まえておくことができずに、下手をして、迷惑をかけたこと。わたしに、折れさせたことについて、では決してない。正直、そのことにくらべれば、占い男の暴走を止められなかったことなんて、わたしには微々たるものだったけれど。だいたいにしてあれはIだけの責任であるはずがなかった。そんなことをなにもかもひとりで背負い込んで辛気くさい顔をして、この性格は昔からちっとも変らなかった。
 報われないとわかっていてわたしも引き金をひいた。今更謝ってほしいわけでもなかった。
 「いいえ」
 だから、この話はもうこれでおしまい、のはずだった。
 それでも彼はまだぐずぐずしていた。なにか言いたいことを探しても見つからないようだった。わたしもそうだった。疲れているから部屋に戻る、と、ひとこと言ってしまえばそれで済んだのに。
 わたしたちには、たぶん、もうすこし余計な作業が必要だった。綻びをつくろって平常にもどるためだけの、中身のないコミュニケーションが。
 じゃあ、と言いかけたIを遮って、
 「包帯」
 わたしから切り出した。
 「替えないといけないの。手伝って」

 右肩から右腕にかけてKが必死で巻いてくれた包帯は、シャツの上からでもわかるほどに不格好な形を成していたけれど、脱ぐとからまった糸巻きのようになっていて一層ひどかった。
 「あんまりよね」
 「滅茶苦茶だな」
 Iは固結びした端をどうにか探し出した。上へ下へ、まるで秩序のない巻き方をされた白い包帯が、するすると解けて床に落ちていった。解放感に思わずふうと息をついた。
 薬を塗ったガーゼを剥がすと青黒く痣になった二の腕が現れた。Iは一瞬手を止めたように見えた。
 「見た目だけ、すごいのよね。参っちゃって」
 Iは表情を変えずに、替えのガーゼをピンセットで取り出して、薬を塗った。Kより倍も丁寧で、手早かった。
 「すぐ元に戻るよ」
 「そうね。お医者様も言ってた」
 この大仰な見た目をわたしも好まなかった。Kは目にするたびいちいち瞳を潤ませた。できればなんてことのないもののように扱いたかったけど、そうもいかなかった。痛みだけではない、怪我はまるでわたしたちに、起こったことをなにも忘れさせないためにあるもののような気がしていた。
 黒いところをすべてガーゼで覆ってしまって、Iはあたらしい包帯を巻き始めた。器用なものだった。はじめから決まっていた線をなぞるように、するすると巻いていった。
 「保健の先生みたいね」
 「保健の先生だよ」
 「ふふ、ふ」
 堪え切れず笑いがこぼれた。
 「わたしね、あなたのそういうの、可笑しくって仕方ないの」
 「何が」
 Iはもうすぐ肘まで巻き終わろうとしていた。
 「だって、あなた、昔は先生なんかじゃなかったのよ。ずっとそうだったのよ」
 ぱちん。
 包帯を切る音が静かな部屋に響いた。わたしにはよくわからない仕方で、Iは、包帯の切れ端をどこかに丸めこんでしまって、さっきまで取り散らかっていたわたしの右腕はずいぶんと綺麗になった。
 「覚えてる?」
 右腕の輪郭を撫ぜた。かるく触れるだけで痛みが鮮明になった。
 Iは曖昧に笑って、もう用事をすませたはずのわたしの右手に、自分の右手でわずかに触れ、そして、離れた。
作品名:包帯 作家名:中町