Ladybird,ladybird,
「そうですね。おいしい秋刀魚が恋しいです」
二人で潜り込んだ枝垂れ柳の作る影は涼しく、未だ絶えない蝉の轟々とした声を少しだけ忘れさせた。喉は乾いているけれど、穏やかな休息の一時だ。日本もそう思っているらしく、安堵に満ちた呼吸をし、アスファルトの焦げる香りを心地良さそうに肺に送りこんでいる。燦々と輝く太陽の熱を食んで生き生きと育った柳は美しく、きらきらと青葉を輝かせていた。
「ああ、イギリスさん。あまり柳に寄りかからないで。お隣に先客がいらっしゃるようですよ」
日本に言われ視線を脇へ逸らすと、寄りかかった木の幹の上を小さな虫が一匹器用に歩いているのを見つけた。
「Ladybirdか」
「おや、そちらでは随分と可愛らしいお名前で呼んでいるのですね。こちらでは〝天道虫〟と呼んでいます」
体全体に背負った七つの黒星が、鮮やかな赤いコントラストに映えて美しいその虫は、生物学者が解き明かした彼の習性通り、太陽を目指し幹を登りつづけていた。イギリスにとってもこれといって珍しい存在ではない。ここから海を越えた先にあるヨーロッパにも多く生息している。アブラムシやハダニを食らって生きる彼らは、イギリスの自宅に咲く薔薇たちにいつだって歓迎されていた。
「ひた向きな子ですよね。一生懸命に太陽を目指していくのが可愛くって、一度見つけるとずっと見守っていたくなってしまいます」
そうだな、と、イギリスが熱に浮かされぼんやりとした調子で言葉を返すと、二人の間に沈黙が訪れた。じっと、彼の姿を眼で追う。音も立てずに歩いていた彼は、不意にその背中を割った。「あ、」とイギリスが小さく声をあげるや否や、天道虫は小さく薄い羽を広げ、柳の青葉に乗り移った。ザアザアと風に身を捩る葉と葉の間を飛びまわり、やがて天道虫の行方はわからなくなった。
「いってしまわれました」
然程惜しむわけでもない、些細な落胆をこめて日本は天を仰いだ。イギリスは同じように宙を漂わせた視線の先で、見失った天道虫の代わりに柳の隙間から零れてくる白い陽光の存在に気付く。夏の夜の流星群のような木漏れ日は隣に佇む日本の蜂蜜色の頬に落ちてとても美しかった。
「天までゆければいいのだけれど」
詩人のようにごちた日本の声は脱殻になり、微風に滲んで、いつまでもイギリスの耳元で唄い続けているようだった。
作品名:Ladybird,ladybird, 作家名:いかすみ