battery less
俺は誰でもないんだよ。
俺以外の、誰でも。
バーテン服からは香水と酒と煙草の匂いがする。
蝶ネクタイは喉元をくつろげることなくしっかり付いている。
(誰への礼儀なの、それ。)
礼儀等々かなぐり捨てた状態に、やたら整った服が浮いている。
電池が抜かれた状態の新品の玩具に似ている。
電池が入るまではまるで抜け殻で、溶接したばかりのプラスチックの匂いがする、あれ。
幼い頃に買って貰った玩具のロボットは、新品のまま捨ててしまった。
空ろな目が大嫌いだった。生きていないくせに、生きる気もないくせに、何も映さない不透明な目をして見つめてくる。
そのくせ大事にされることを望んでいる。
何か物質を与えた人間は、与えたものの庇護を望む。それが玩具の思念に感じられた。
受動的な方通行の愛して、は大嫌いだ。
こちらが愛していないならばなおさら。
今見ているシズちゃんは、それによく似ている。反吐が出る。
眼がついてるならもう少しマシな目ェしなよ。
象さえ数秒で動かなくなる麻酔だって効かないじゃない。
こんなとこ見たことないよ、何で道端に転がってんの。
「シズちゃん、ここは俺の家じゃないから転がってよーが死んでよーがどーでもいいんだけどさ、ほんの少し興味がないわけでもないから聞いてもいいかなあ」
面倒そうに瞳が動く。
そこが空洞になっていたらいいのに。真っ黒な二つの穴で見つめてくれたらいいのに。
てらてらと光る目は確実に他人と情景を視界に入れていながらも、何も伝える気はないとただ見つめてくるだけだった。
「…何か言いなよ」
持っていたペットボトルの口を押しつけて唇を開かせた。
覗く桃色の口腔から一筋の唾液。喉が生理的にくっとなった。
「喉、渇いてる? 声出ないの? あれえ、もしかして泣き腫らした後だったとかあ?」
歪む目に、生きた色がついた。
麻痺した心が再び苦痛に悲鳴を上げる。放った言葉が刺さるんだ。
「いいよ、飲む?」
半分以上入っている飲料は傾けてフタをひねれば当然こぼれる。
バシャバシャと顔にかかった水に眼をつぶる。唇の周りの水だけを覗いた舌が吸い取った。2.3回、口がぱくぱくと動いたと思えば、空気を震わす掠れた声。
「 」
何、それ。
潰れた喉で何言ってんの。まだ呼ぶの。
まずお礼とかさ、あんでしょ。そういうこと。シズちゃんそういうの無視すんの嫌いじゃない。
「 、 」
何で、そんな酷いこと言うの。
「いないよ、俺しかいない」
「 」
「…ねえ、無視しないでよ、俺此処にいるんだけど」
「 」
「……いないってば、そんな人」
「 」
「聞きたくない」
「―――」
喉元を絞めた。どうせ、こんなんじゃ死んでくれない。せいぜい気を失っておしまい。
弱弱しい抵抗でひっかかれて、手の甲の皮が剥けた。じんとそこだけ熱を持つ。
それでも喋ろうと喉が震える。名前を呼ぶ。
学習しないよね、声が出なくなったのはそれが原因なんでしょ?
涙と鼻水と嗚咽でぐしゃぐしゃになった顔が人間みたいで。
人間に近づいたみたいで。
ショーウィンドーに入った玩具が欲しくなるのは、そばに置けばその目に生きた色が入るからか。
傷がついて年をとるからか。
自分の一部になっていくからか。
何かの間違いだ
シズちゃんが愛しいだなんて
作品名:battery less 作家名:ゆえん