嘘とタイムマシン
ふぅ、とアキラは額の汗をぬぐって息を吐く。
自分は実は随分不器用な部類になるのだと、この工場勤めで思い知らされた。
それでも、コツコツと働くことの意義を今は見いだせそうな気がしている。
「お疲れ様、アキラ」
ニコニコと笑顔で、ケイスケが飲み物を差し入れる。こういう気遣いひとつひとつに、今は気づける。
「ああ、ありがとう。お疲れ」
ぱし、とそのペットボトルを受け取って、一気に半分ほど飲み干す。コーラが飲みたいなどという贅沢は思わない、ただの水が労働の後ではこんなにもうまい。
そのままロッカーへ向かい、手早く帰り支度を済ませた二人だったが、表の様子を見た途端にあんぐりと口を開けた。どんよりとした灰色の雲が垂れこめ、ざぁざぁと水音が唱和する。天気予報が見事に外れた。
「うあ、降ってる……」
しょげた顔をしたケイスケに、アキラはふぅとため息をつく。二人ぬれ鼠になってかえることを、コレは覚悟しないとならないだろう。
「ウチまで急ぐぞ」
どうせ、濡れて困るような服装でもなければ、貴重な荷物を持っているわけでもない。
工場からアパートまでそんなに距離はない。足を踏み出そうとした二人に、救いの手が差し伸べられた。
「おう、使うか?」
帰りがけに通りかかった、機嫌よさそうに工場長がニコニコと一本の折りたたみ傘を差し出す。
「え、でも……」
ケイスケがやんわりと断ろうとするが、くいくいっ、っと工場長が指した先には奥さんと子供が待っていた。工場長のお子さんは何という名前だったろうか。黄色い雨がっぱが可愛らしい。
「あ、ありがとうございます……」
素直に、ケイスケは好意に甘える。
「アキラ、傘借りられたよ」
そういって、早速その傘を開く。折り畳み傘なので、少々面積は狭い。
「……別に、俺は濡れていってもいい」
ケイスケから、何故かアキラは離れる。
「え、二人で入ればいいよ」
す、とアキラの頭上に傘をかざす。
「……」
ふぅ、と何故かアキラはため息をついた。
――アキラが何故一瞬戸惑ったのか、ようやっとケイスケはわかった。
一本の傘を、半分こしている。なるべくなるべくアキラが濡れないように気をつけながら、傘を握りしめる手がだんだん震えだしてきた。
どうしようどうしよう。
アキラとの距離が近い。肩が自然に触れる。アキラの息遣いを感じる。
アキラの足元を見ながら、歩くリズムを合わせる。
心臓の鼓動が跳ね上がる。横顔を不意にまじまじと見つめて、あぁ、アキラは綺麗だなーなんてことをしみじみ思う。
「ケイスケ」
そんなことを思いながら歩いていると、アキラがあきれたように声をかける。
「え、うぇっ!?」
おもわず、声がひっくり返ってしまった。アキラの顔が近い。
「水溜り」
つんつんと、アキラが地面を指差す。
「あ……」
アキラは寸手で避けたようだが、ケイスケは見事にどっぷり水溜りにハマっていた。
「帰ったらさっさと風呂入れよ」
アキラのぶっきらぼうな気遣いが、それでもうれしい。
「うん……」
ハァ、と大きくため息をつく。
「何だよ」
「いや、その……」
煮え切らない態度はいつものことだけど、それでもそんなケイスケを見ているとアキラはいら立ちを覚えてしまう。
「俺……浮かれ過ぎてたなって思って。アキラと相合傘なんて、その……、で、で………」
「で?」
「でっ……デートしてる、みたいだなー、なんて思ったりして、ドキドキしちゃって……俺…」
一瞬。アキラが固まる。
見る見るうちに赤くなる。
手加減しているとはいえ、一撃をくらう。
「な、なに言うんだっ!」
そういって、傘をひったくられる。明らかに二人の間の距離を意識された。
「ご、ごめん…」
ああ、そんな反応さえかわいいなぁ……という思いがわき上がってくるのが、ケイスケの中では一番先だった。
す、とさりげなく歩み寄る。アキラが嫌がらないと分かっているからだ。
「アキラは、俺と一緒に傘はいるの、イヤ?」
こういうずるい質問の仕方を、ケイスケは覚えてしまっている。
「……嫌、じゃない……」
そっぽを向いているが、アキラの顔が赤くなっているのは手に取るように分かる。そんなアキラの反応が可愛い。この人が、愛おしい。そんな人と生活を共にしているという喜びを、ケイスケは今さらながらにかみしめる。
「……今日の夕飯、何がいい?」
さりげなく、尋ねる。
「……オムライス」
小さく、アキラは答えた。