アニマ 0
しかし、だいぶん成長して大人になった今でも相変わらずこの男はつかみきれない。今もぼんやりと、目に見えない何かを追うように、ゆっくりと瞳を動かしている。彼は幻想の住人だ。昔も、そして多分今も。
場末のカフェはほこり臭く、窓枠はつもった埃で黒くなりかけていて、曇ったプラスチックのようなガラスから黄色い午後の光が差し込んでいる。室温は眠たくなるには十分なほど暖かい。
美味しくないコーヒーを水で薄めたような液体が、贈答品のようなコーヒーカップに入って俺の前に置かれた。向かい側に座る彼は、長い髪を重そうに揺らしてほおづえを突いた。
「君は、僕の能力の由来になんの疑問も持たないのですね」
彼の右目は不思議に赤い。今は数字が浮かぶことも無く、感情も見あたらない。彼は六道を巡ってきたと主張する男で、俺はそれを半ば嘘であるかのように信じていたが、彼の能力は確かに非現実的であったので、半分くらい彼の主張を信じていた。何分、彼の能力は便利だった。人を惑わすのに、人をおびえさせるのに、人に夢だと錯覚させるのに、そして人を殺すのに。
残念ながら俺たちの所属は泣く子も黙るマフィアということになっているので、それは大変好都合だ。
「疑問を抱いたって仕方ないだろ。おまえの話難しいしさ」
正直何度か疑問を抱いたことはあった。なんたって六道を巡ってきたっていう話だし、そんな記憶残ってたらあれだろ。仏様仕事サボりすぎだろ。あぁ、でもそうか、彼は目を植え付けられたから思い出したんだ。
「そうですか?」
「うん」
「では僕が話したくなったので話します。子守歌程度に聞いてください」
「やだよ」
「おや、つれない」
「だって拒否したってお前話すだろ?」
「ええ」
彼は少し笑った。
彼は少し老いた。老いたというのは不適切かもしれない。青年らしさが抜けてきたというべきなのか。彼の手は少し骨張っていたし、未だ精悍ではあったけれども。
俺は机に突っ伏して、なるべく体力を使わないようにして彼の目を見た。彼の目は相変わらず何をみているのかわからなかった。
「始まりの記憶は、はっきりと覚えています。僕の生は、人間の道から始まったんです」
彼はコーヒーで唇をしめらせた後、本腰を入れて話し始める。