走る体
門田は静雄の首を絞めていた。
ギリギリと首と指とが音を立て擦れ合う。
痙攣する静雄の体を見て、門田は確かに性的興奮を得ていた。
「が、かど、た……。」
「静雄……。」
真っ赤だった静雄の顔色は次第に赤紫に変わっていく。
震える手はシーツを握り締めていた。
自分をへし折るまいと、健気に耐える静雄を見て、門田は舌なめずりをする。
先ほどまで蛙のように呻いていた静雄も、空気さえ漏らさなくなった。
明らかに焦点の合っていない瞳を見て、門田はようやく手を緩めた。
途端に静雄は大きく息を吸い込み、そして咽た。
「ごっほ、ご、ご」
「静雄、大丈夫か?」
相手を死に追いやろうとしていたのは自分であるはずなのに、門田は必死に静雄の背をさすった。
ただ、そういう行為を求めているのは静雄の方なのだが。
「……もう、こんなこと止めにしないか。」
「いいんだ。……俺は、門田に気持ちよくなって欲しい。」
それに、こんぐらい化物の俺にはどうってことないから。
門田は、相手を虐待することに性的興奮を覚える所謂サディストだった。しかしそれは性癖としてだけであり、苦しむ相手を見て痛む良心も彼は持っていた。
そんな門田が平和島静雄と付き合うようになったのは、彼らが同じ高校を卒業してから数年経った、ごく最近だ。久々に会って、話して、お互い惹かれていることに気付き、付き合い始めた。もっとも、静雄の方は学生時代から門田のことが好きだったという。
最初の頃こそ、手を繋いだりキスをしたりするだけでもどぎまぎしていた。しかし日々を重ねるうちに二人の触れ合いはより濃いものになっていく。
門田の性癖に静雄が気付いたのは、彼が門田の家に初めて来た日のことだった。
「門田、これ。」
「あ。……見つかっちまったか。」
静雄が手にしていたのは、門田の性癖に副った本だった。門田はそれをそのまま本棚に置いていた。本に興味の無い静雄が、まさかそこを見ることは無いだろうと。
静雄の顔を見ると、頬を赤く染め唇を噛んでいた。色恋に疎い静雄のことだ。軽蔑、もしくはこのまま振られるかもしれないと、門田は息を詰めた。
「門田は、こういうこと、したいのか?」
「いや、……したくないっつったら、嘘になるけどよ。」
「じゃあ、しろよ。」
「静雄……。けど、誰だって苦しい目に遭わされんのはい」
続く言葉は静雄に飲み込まれた。
「し、ずお……」
「俺は平気だからよ。お前の腕力じゃ俺は殺せねぇ。」
だから門田の好きにしてくれ。
そう言うと静雄は瞳を潤ませ、そして門田に抱きついた。。
恋をしている人間の表情として行動として、ごくありふれたごく当たり前のものだった。そんな静雄を可愛いと門田は思った。
しかし、穏やかな表情で自分を傷つけろ、という静雄が、恐ろしくもあった。
門田の性癖が静雄に知れてから、一週間が過ぎた。
その間、二人が会うことは無かった。門田の仕事が立て込んでいたこともあるが、メールを送ってみても静雄は返信さえしなかった。
やはり、気持ち悪かったのだろう。
そう門田は考えていた。静雄が人に対して偏見を持つタイプだとは思っていないが、その対象が自分であれば、やはり心地よいものではないはずだ。
(悪いことしちまったな)
門田はそう、心の中でひとりごちた。
これで静雄が別れたいと言うなら、仕方が無いだろう。受け入れてもらえないからといって静雄への想いが冷めてしまったわけではないが、彼が嫌だというなら強要する訳にもいかない。本を見つけたあのときこそ受け入れるような発言をしていたが、実際の静雄の心境など門田には分からない。
台所へ茶を取りに行こうと、門田が立ち上がった瞬間、携帯の着信音が響いた。
ディスプレイには、平和島静雄、と表示されていた。
「……もしもし。」
「あ、門田。今大丈夫だったか?」
「ああ、家にいる。どうした?」
「いや、今お前んちの近くに来てるんだけどよ。このあとお前んち行ってもいいか?」
「分かった。待ってるよ。」
通話を終え、携帯を閉じる。
まだ見放されていなかったことに安堵を感じつつも、この後静雄にどんな顔をして会えばいいのだろう。
門田はため息を一つ吐いてから、部屋の掃除を始めた。
ピンポーン。
「おう、早かったな。」
「急いで来たんだよ。……お前に、会いたかったから。」
そう言って静雄ははにかんだ。その表情を見て、嫌われてなどいなかったのだ、と門田は胸を撫で下ろした。
居間に静雄を通し、座布団に座らせる。その手にはいくらか本が入ったビニール袋が握られていた。
「静雄、なんだその袋?」
「ああ、これか。」
静雄はざらりと中身をちゃぶ台の上に出した。
その本は、門田が持っていたものよりも大分過激な、そういった性的嗜好のものだった。
門田は驚いて目を見開き、静雄を見た。
「静雄……! これ、お前、なんでこんな本……。」
「こういうのが好きなんだろ? だから、俺、その……門田ともっと、いろいろしたいからよ、」
いっぱい勉強したんだ。
そして静雄はゆっくりと、門田の唇にキスをした。
「静雄、だけどこういうのは、その……色々難しいだろ? 俺はお前が苦しんでるところなんて見たくない。」
「けど、興奮すんだろ?」
頭を強く殴られたような思いがした。静雄の言葉に反論するだけの材料は、自分の中には無い。
静雄は柔らかく微笑むばかりだ。
ようやく、門田は静雄の違和感は勘違いではなかったのだと気付いた。
「俺は平気だって。分かってるだろう?」
「静雄……」
「俺が、門田としたいんだよ……。」
そして静雄はまた門田と唇を重ねた。今度は長く。
静雄の睫毛が震え、頬にうっすらと紅が差してゆく様子を見ながら、こいつは自分よりよっぽどアブノーマルなのだ、と門田は目を閉じた。