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勝者の痛み

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イエローはトキワの森が好きだ。自身の故郷であり、多くの出会いを導き、そして命を育む大切な森。森と、そこに住まう全ての生き物たちは、イエローの誇りであった。
その誇りを非情にも荒らす人間は後を絶たないが、それでもイエローは人間を信じていた。それは、持ち前の優しさで“人とポケモンの共存”を信念とする彼女にとっては当たり前の気持ちだった。










さくさくと音を立てて、緑の茂る森を奥深くまで進む。新緑が薫る森独特の空気は、訪れる者を等しく包んで迎える。しかし、森の訪問者は何の感慨もないかのようにヨロヨロと歩んだ。薄暗い森の中で俯き気味の少女の顔は、青白い哀しみに満ちている。
その腕には、一匹のピカチュウが抱かれていた。



腕の中で温もりを失ったこのピカチュウとイエローが出会ったのは、ほんの3日前だ。森の入り口付近でボロボロになって倒れたピカチュウを、通りかかったイエローが見つけたのが始まりだった。
あまりの惨さに絶句し、慌てて駆け寄り治癒を始める。と、治癒の最中に流れ込んできたピカチュウの記憶と感情。イエローは思わず触れる手を離し、口に手を当て吐き気に耐えた。

虐待―――いや、そんな生易しい表現では表し切れないほどの、残虐で惨すぎる行為。同じ人間の所業であると信じたくない暴行。


駆け寄るイエローに、力を振り絞って電撃を放った意味がようやく分かった。
「…めん、ごめんね……」
脳裏にこびり付いた映像を振り切るように、弱り果てたピカチュウに手を翳す。徐々に回復すると浴びる電気も強くなっていったが、イエローは決して手を離さなかった。



本来ならば、しっかりとした治療を受けさせるために、公的機関へ連絡・搬送するべきなのだろう。

『故郷のトキワに居たい』
『人間の手にかかりたくない』

特に後者の気持ちは、イエローの心へ何度も巨大なうねりとなって押し寄せてきた。
人間によって酷い目に遭わされ、瀕死の重傷を負わされ、そこから人間の力で助かりたいと思うわけがない。今この時も、トキワの力を使うイエローを激しく拒絶してくる。

しかし、このままでは確実にこの小さな命の灯は消える。

散々迷って、結局トキワの外へ連れ出すことを断念した。なまじポケモンの気持ちを読み取る能力があるが故に、ピカチュウの執念に似た想いを優先してしまった。
そして、自分の力だけで治すと決めたからには、全力を尽くそうと努力した。それこそ寝る間を惜しんで、つきっきりの看病だった。





「その結果が、コレというわけか」
トキワの森の主――樹齢1千年を越えるであろう巨木――の前に小さな穴を掘っていたイエローへ、冷ややかな声が降ってきた。
土を掘り返して血の滲んだ手を見つめ、イエローはただ小さくなって震えている。



「人間は変わっていない。やはり、あの時に何としてでも滅ぼすべきだった」
「………そんなこと、ありません」
巨木の太い枝に腰掛けたまま、男はマントを揺らして皮肉げに笑った。
「そのピカチュウを死に至らしめるほど痛め付け、お前を打ちのめしたのは誰だ?」
「……それでも、ボクは、」

重力を感じさせない動作で、ふわりと地面に降り立つ。

地面に付けられた男の足跡と小さな穴を見比べ、2つがそれほど大差のないことにイエローは深く絶望する。
発達不良という言葉が頭を過ぎった。ピカチュウにしてはやけに小さいと思っていたが、恐らく食べ物も満足に与えられなかったのだろう。





本当に、小さな命だったのだ。





「コイツを殺したのは、もはや人間でもない。汚れた欲望に染まった悪魔だ」

返事の代わりに、イエローは軽すぎる亡骸をそっと横たえて土を被せる。息苦しさで、今すぐ逃げ出したくなった。
彼女には肯定も否定もできない。今できることは、そこだけ色の変わった柔らかな土の上に涙を零さぬよう耐えることだけだ。


追い討ちをかけるかのように、男が再び口を開く。
「お前の力不足を悔やんでいるなら、それは無駄なことだぞ」
「…どういう意味です」
「お前がいくら力をつけようと、人間共は必ずその力を上回る数のポケモンを虐げる」
分かり切ったことだ、と男は小さな墓を一瞥して吐き捨てた。
ふいに、イエローが顔を上げる。


「ワタル、あなたまさか…!」
「言っておくが、俺の力でもコイツは助けられなかった。ポケモンセンターでも、多少の延命治療が施されるぐらいだろう。…ならば、トキワの森でトキワの力を浴びながらゆっくり死を迎える方がコイツにとっての幸せだとは思わんか?」
「なんてことを!」
「そんな目をするな。そういう目を向けるべき相手は別にいるだろう」
「それでも、あなたがこのピカチュウを見殺しにした事実は変わらない!」

最初から妙だと思っていた。突然目の前に現れたワタルが、同じトキワの力を保有しているとはいえ、自分とピカチュウの間に起こったことを全て把握しているなど。
ワタルは知っていたのだ、ボロボロになったピカチュウのことを!

「助けもせずに、放置したんだ!ボクに…ボクに見せ付けるために!!」

激しい怒りで身が燃えるように熱くなる。決して好戦的ではないイエローが、腰のボールに手を回した瞬間―――後ろから強烈なプレッシャーと怒りの感情が襲い掛かってきた。
伸ばした手をそのままにギクリと後ろを振り向けば、巨木に引けを取らない大きさのカイリューが、イエローを睨み付けるように見下ろしている。

「ワタルの…カイリュー?」
「ずっとお前の近くにいたが、気付かなかったようだな」
小馬鹿にしたワタルの声にも反応せず、イエローは怒り警戒した様子のカイリューをじっと見つめた。

命令されたら躊躇なくイエローを殺すであろうカイリューは、今は命令ではなく自分の感情に基づいて行動している。
主人に敵意を向けた者への殺気。大きな瞳には強く渦巻く感情がはっきりと見えた。


暫く見詰めあった後、イエローはボールにかけた手をするりと下ろした。




「ワタル、ボクも今、カイリューと同じ顔をしてました?」
「…カイリューは、そんな泣きそうな顔はしていない」
力のない問いに、素っ気なく返事をする。自らの僕の艶やかな瞳を見返し、ワタルはその背に飛び乗った。


「いずれ何十年か後に、お前たちがしたことが本当に正しかったかどうか分かるだろう」
「…ボクは今でも、正しかったと信じています」
「…それはお前の自由だ。だが、忘れるなよ。そのピカチュウは、俺たちの計画が成就していれば恐らく死なずに済んだということを」
「でも、それは大勢の人の犠牲と引き換えになった筈だ!それじゃあダメなんだ!」
「お前のいう“共存”の理想に適うことなく死んだポケモンを忘れるな」
「…ッ!ワタル!!」
思わず叫んだイエローを置き去りに、カイリューは風よりも速く森を抜け上空へ舞い上がると、瞬きする間に姿を消した。





胸に残ったしこりに触れ、イエローはその場に蹲った。


(レッドさん、みんな…。ボクたちのしたことは、間違いじゃないですよね…)

答える声はない。

作品名:勝者の痛み 作家名:竹中和登