赤の月
本日は親睦会という名の元に一同が席を並べ、しばし「談笑」を楽しんでいた。
途中赤城は席を外し、隅まで手入れの行き届いた、過剰とも取れる装飾で充たされた一室で休憩を取っていたのだった。
辺りを見回すも人一人居ない。手元の時計を見ると、丑三つ時。
この時間ならば親睦会は既にお開きになっているはずだ。
(おかしい。…これは所謂、死者の亡霊ですかね。)
自分の考えに思わず微笑んでしまった。
そんなおき楽な事を、と言われてしまうだろうが
自分達の存在もまた不可解。一概に否定などできない。
長く広い廊下の先
外国の歌だろうか、この国の物ではない言葉。
静まり返った空間に滑らかな、低く良く通る声はよく響いた。
この国の状況化で異国の歌などなんと肝の据わった御方だろう。
ひたり ひたり、と足を進めながら赤城は徐々に大きくなる歌声の主を探す。
ふと、細い灯りが漏れている自身に用意された部屋以上に過剰な装飾の襖を見つけた。
「……」
声の主の背中を見て赤城は眉を潜め複雑な心境を表情にする。
片方の髪を耳に掛け、さらりと流れる漆黒。
どこか幼さが残る 細く それで居てしっかりした背中。
紛れも無く陸奥の物だった。
そぼそぼと歌っているつもりだろうが、
この静けさではあまり意味がなかった。
語尾に特徴がある。強弱の具合に、垣間見える雄々しさ。
きっとドイツ語だろう。
嗚呼そんなことをしていては、またあの時のように、と
心配をよそに皮肉にも謳われるそれは心地良い。
(レクイエムですか…鎮魂歌とはまた。)
誰が亡くなっただろうと考えた。しかし考えるでもなく
死者は今この瞬間にもきっとあったろう。
「誰」というわけではない。
そんなことをぼんやり考えていた。
瞬間
ぐいっと部屋に引きずり込まれる。
拍子に足下がぐらつき、ごてごてとした部屋がぐるりと回った。
どすん、と大きな音を立て赤城は強く尻を打つ。
鈍いうめき声が上がる。
眉間に皺を寄せ怪訝な顔をした陸奥が赤城を見下ろしていた。
「盗み聴きとはお前も性格悪いな。」
ため息をつき赤城は起き上がり
深々と御辞儀をした。
「これは失礼致しました。しかし陸奥さんこんな夜更けに歌など。
それも異国の!誤解されてしまいますよ。」
再び 辺りはしんと静まり返る。
中庭の池に月が反射し、パチパチと輝いている。陸奥はじっと動かない。
その沈黙に赤城は戸惑った。
陸奥ならいつかのように「俺の事に口を出すな!」と言うと思っていたからだ。
「俺等は無意味だ」
正直、またか。と赤城は呆れる。
まだ大和も武蔵もいない十数年前から言い続けてる事だ。
「お前はなんでここに来た?」
「歌声が聴こえてきたからですよ。」
「どう思った?」
「異国の歌など危ないと。」
「そういうことじゃない。」
……やはり駄目か。
「倍音、緩やかな、芯のある響き。素晴らしいですね。」
「…素晴らしいのは俺じゃない。」
「今日の親睦会という名の食事会。話題は戦争の事ばかりだ。
皆、人を殺す手段について如何に自分が素晴らしいか嬉々として語っていた。
虫酸が走る。敵国と言っても奴らも同じ人間だろう?
人間を殺すんだぞ!
何故人間は殺し合いをしたがる!言葉を操れるんだ!話し合いで解決できないのか。
戦争も俺等戦艦も無意味だ!」
大きな声を出した所為か、肩で息をしている。
もう数えきれないほど、この言葉を聴いた。
彼の言葉は実に誠実で、正論だ。
「歌声はこんなにも他人の心を揺さぶる。
国や人種は関係ない。
こんなに美しいものを生み出せる人間が俺等をも生み出すなんて!」
まるで業火のように叫んでいる。
(己を疑わぬ真っ直ぐな清く正しい男性)
赤城はぼんやりとそんな事を考えていた。
その男性はなおも捲し立てている。
「……——————————!!……」
赤城自身だって平和な時代になれば良いと常日頃から思っている。
が、同時にどうしようもないことだとも判っていた。
陸奥とて例外ではない、彼もまた判っているからこそ
この主張を繰り返すのだ。
「……———!———————!——……」
(しょうがないのです、もう どうしようもないのです。)
赤城は、なおも捲し立てる陸奥にそっと近づいた。
腕に力を入れ、幼子を抱くように恭しく陸奥にまわす。
「おい、なんのつもりだ。」
「しょうがないのですよ、陸奥さん。」
「だからもう、そんな顔をなさらないで下さい。」
「亡き者の為に歌を歌ったり、泣いても良いのですよ…。」
お前が泣きそうにしてんじゃないか、と陸奥は思った。
そして何より、見透かされている自分が情けないと思った。
でも、今日ばかりは幼なじみの言葉に甘えても良いかとすら思える。
(きっと、月が美しいからだよな)
そんな言い訳をして 少し泣いた。