沈む太陽、昇る月
やがて闇色に塗りつぶされた夜空に、星々が瞬き始め、まるで宝石が散りばめられたように光り輝く。
この夜空を、彼らも遠い異国の地で眺めているのだろうか―――。
少々感傷的になるのは、きっと今日が一年の最後の日だからだ。
明日になったら新しい年が始まり、おそらくそう遠くない未来に今続いている戦争も終結する。
その時、自分はどうしているだろう? 彼らはどうしているだろう?
望んで手に入れた地位だった。今この場所に自分がいるのは、己の手で選び取った結果だった。
この世界を変えるために―――。
誰も傷つくことのない未来の世界を作るために、現在を傷つけることを選んだ。
それなのになお迷いを消し去ることができないのは、彼らを裏切ってしまったから。彼が敵対する陣営のリーダーになってしまったから。
あの時、彼が同盟軍のリーダーになるとわかっていたら、自分は裏切ったりはしなかっただろうか。彼の側にいて、彼を支えるために己の持てる力をすべて注いでいたのだろうか。
そこまで考えて、溜息が口からこぼれた。
今さら詮のないことだ。未来は誰にもわからないし、過去は誰にも変えられない。
「ジョウイ様?」
背後からかけられた声にはっとして振り返った。
物思いに囚われて、人の気配にまったく気づかなかった。
振り向き、そこにジルの姿を認め息をのむ。
綺麗だった。
豪奢でありながら、それでいて繊細なドレスに身を包んだジルは、そのドレスに負けないほどに美しかった。
「綺麗だ…」
思わず言葉が口をついて出た。だけど嘘偽りのない言葉だったから、取り消そうなどとは思わなかった。
「ありがとう…」
少しはにかんだ笑顔でジルが答える。その姿がなんだか愛らしい。
「ジョウイ様も、とても立派です」
いつもより少し派手な衣装で盛装した自分の姿を鏡で見た時は笑ったものだが、ジルにそう言われるのならば悪くはないのかもしれない。
「ジル」
呼びかけて右手を差し出せば、そっと手のひらが重ねられた。
そのまま手を引き、テラスへと誘っていく。
「とてもたくさん、星が見えますね」
その無限の輝きに、隣でジルがうっとりとした溜息をつく。星空を見上げるジルの横顔が綺麗で、思わず見惚れてしまう。
「どうなさったのですか…?」
あまりに熱心に見つめてしまっていたのだろう。やがてジルが少し怪訝そうに尋ねてきた。
「いや…、少し昔のことを思い出していたんだ…」
「昔のこと?」
おうむ返しに問い返してくるジルに、笑顔で返す。
「まだ僕が幼かった頃にね、君の事を見たことがあるんだよ」
そう言えば、ジルは大きな目をまん丸くする。その姿がおかしくて、おもわず噴き出してしまった。
「私、あなたと幼い頃に会ったことがあったかしら?」
「そうじゃないよ。…そうじゃなくて、僕が勝手に盗み見てたんだ」
クックと喉に声を詰まらせながら答えると、案の定ジルの目がますます丸くなった。
「君がキャロにある皇邸に滞在してた時にだよ。たまたま街でちらっと見かけて、どうしてももう一度君の姿を見てみたくて…。結局何度も皇邸の壁をよじ登って盗み見てしまった」
「まあ…」
呆れたという風に、ジルは口元に手をやって溜息をついた。
「それは…、衛兵達にもっと警備を強化するように言わなくては」
少し怒ったようにみせかけたその顔は幼くて、初めて彼女を見た時の幼女の頃を思い出させる。だから思わず口をついて出た。
「そうそう。あの頃はよくラーイと二人で一緒に……」
言葉は不自然に途切れた。そこから先は何も言えなかった。彼のことはどうしても声に出して語れない。言葉に出してしまえば最後、過去に囚われてしまう。
ジルの気遣わしげな顔が目に映る。さっきまであれだけ楽しそうだった瞳が、今は曇ってしまっている。彼女はまるで僕の心の鏡のようだ。たまに彼女を見ていると、自分自身を見ているような錯覚に陥ってしまう。それだけ彼女は僕の心を正確に読み取っているのだろう。それはとても辛いことだろうに、彼女は僕の傍を離れたいと言ったことは一度もない。それだけが今の自分にとって、唯一の慰めだった。
「ジル。これから君には今まで以上に辛い想いをさせると思う」
問う必要のない言葉。
「それなのに、君は僕の傍にいてくれるのかい?」
それでも君の声で聞きたい。
「はい」
もう一度。
「はい。ジョウイ様…」
もう一度だけ。
「私は最後まであなたの傍に…」
「ジョウイさま、ジルさま。お時間です。大広間では皆様、今年最後の舞踏会を楽しまれていらっしゃいます」
侍女が控えめなノックの後、そっと静かに扉を開いた。
「ああ。わかった」
短く答え、ジルを振り返る。
「さあ、行こう」
もう一度、真っ直ぐに右手を差し出す。
寸分の躊躇いもなく重ねられる左手。
扉の外へ二人同時に足を踏み出していく。互いの手をしっかりと握り締めながら。