夢一夜
でもあのこは待っててくれなんて結局一度も言ってくれなかったから。
ぼやく。グラスの中にはいつもより少しきつめのアルコールが注がれている。何杯目だろう。葡萄色の灯かりに透かすと、テーブルに琥珀の波が生まれた。
隣の男は、また手酌で杯を満たしている。
明らかに飲む量が違っているのに、全く酔った風に見えないのは体質の違いか。
琥珀の波が揺らめく。ぼやける。本当に旨い酒は掌中のグラスではなく、この薄らぼやけた光の漣の中にこそあるのではないかと思って突っ伏した。酔い潰れそうなわけでは、多分ない。
「本当に待っちまいそうなヤツには言わねぇんだよ、そういうのは」
「知ってるよ……六百年も前に最初で最後の失恋したんだ俺は」
「珍しく腐ってやがんなぁ。何でい? 命日でも近えのか?」
「そういうんじゃない……ただ」
光の酒は、舌が届くより前に自分の影に飲まれてしまった。仕方なく、手の内に残ったグラスの液体を一息で飲み干す。薄玻璃のグラスは飴細工のようで、強く握れば溶けてしまいそうな気がした。
グラス本体より余程ガラスじみた硬さと冷たさの氷が唇にぶつかって、鈍化した皮膚は、痛みよりも心地良さを強く覚えた。噛み締める。白い気泡が歯に当たって、ぶつぶつと湿った断末魔に軋んでいく。
全ての傷を癒す薬は時間だけだ、なんて嘘ばっかりだ。
太陽も月も数えきれないぐらい頭上を過ぎたけど、そいつらがめまぐるしい七色に変化するのをずっと見てきたけれど、あのこをなくした痕を埋めるものなんて何もない。
普段は忘れていられても、思い出したようにぽっかりと口を開けて哭く。そいつの痛みは涙というものを流せない自分に唯一許されたあのこの思い出の寄る辺だったから、いつか埋まって欲しいとも思わないのだけど。
思わなくても、痛みは、痛みで。
「なー、おっさん」
「何でい、酔っ払い」
「なんであのこは人間だったんだろうな」
「お前さんを守りたかったからじゃねえの」
「じゃあなんで俺は人間じゃなかったんだ」
「そいつに好きんなって貰うためだろ」
「……おっさん臭ぇ」
「死ね」
百合の花の匂いがした。グラスに注がれた液体は血のように赤いのに。
血のように赤いから、百合の花の匂いがするのかもしれなかった。
ぱちり。力を込めた上下の顎の狭間で氷が爆ぜる。
「待っててくれって、ひとこと言ってくれたらそれで良かった」
「そうかい」
「そうしたら百合の花でもスミレの花でも、
きれいなものは全部あのこだって思えたのに」
「非道い男だ」
「だからフられる」
「わーったわーった。今夜は付き合ってやるから飲め。いいから飲めや。なっ」
「百年の孤独に」
「千年の恋に」