春のめざめ
業深き鬼の癖に、まるで理性の化身であるかのような鬼。閻魔の傍らに立つその鬼の姿は、まるで、欲深き鬼とは思えぬ姿。此岸に住まう人の子らのようじゃないか。
もしや、常の鬼とは違う何かの味がするのやも知れぬと思って、書類を差し出された彼の腕を掴んで、褐色の指の腹を舐めてみた。べろり。
「ひ」と短く吐き出される声は、確かに鬼らしくなく甘かった。甘い。甘い。今度は咥えてやわくやわく噛んでみる。「う」とか「い」とか、か細く漏れる声はやはり甘い。欲に弱い性質のくせに懸命に、ぎゅうと瞼を閉じて己を律する姿は醜く美しい。
しかしどう耐えようとも、鬼が欲に勝てるはずもなく、次第に堕ちてゆく。脱力した身体は、閻魔の膝の上に落ちた。蕩けた淡い瞳と、吐かれた熱い吐息に触れて、とっくに止まってしまったの筈の閻魔の心臓が高鳴った。
どきん。どきん。どきん。
騒がしい。ああ、騒がしいったらない! 止まれ、止まれ、と脳内で唱えてみるが、腕の中の鬼の体温が上って行く度に、鼓動は強く打つ。どくん。どくん。なあに。なあに、これ。これって、これって、もしかして、いや、まさか、そんな!
疑いながらも、確かめたくて、首を傾げて訊ねてみる。
「ねえ鬼男くん。もっと、していい?」
薄く開かれた唇は、何度も浅い呼吸を繰り返しながら答えた。
「もっとして」
どくん!
鼓動はより一層強く打ち、心臓がまるではじけ飛ぶ。温い血潮が体中を巡り、巡り、冷たい筈の身体が火照る。指の先まで、腹の奥まで。余りの衝撃に耐え切れなくなって、鬼の身体を掻き抱いた。強く。強く。鬼の身体は丈夫なので、いくら強く抱きしめたって壊れない。ああ、愛おしい。愛おしい。
そうか、これは、きっと、恋だ。
(2010.07.11)