もうさびしくはない
すると常に傍らに在る鬼男が言った。
「誰もだなんて、そんなの嘘だ」
閻魔は鬼男のその言葉に、三白眼を瞬く。
「だって、僕が赦します」
閻魔は頬がむず痒くなるのを感じながら訊ねた。「なんでも?」 すると鬼男は優しい微笑みを浮かべて、「なんでも」と頷いた。「なーんでも?」「なーんでも」「なにをしても?」「なにをされても」 まるで終わりのないような問いかけと答えの掛け合いだった。閻魔の薄い唇は、絶えきれずに次第に笑みを象る。「本当になんでも?」「ええ、なんでも」 やはり鬼男は頷いた。「赦します」だなんて言うから、閻魔は愉快になった。
「嘘だあ」
けらけら笑いながら閻魔が言うと、鬼男は少しばかりむっとした表情になった。
「嘘じゃありません」
閻魔は三白眼を細めて、「嘘はいけないよ」と言ってやった。そして「舌を抜いちゃうよ」とも。そして鬼男の唇に吸いついて、歯列の隙間から滑る込む。咥内で驚きのあまり縮こまる舌を食んでやった。鬼男から鼻にかかるような声が漏れる。わざとじゅるりじゅるりと音を立てて吸ってやると、とうとう、「嘘じゃないって言ってんだろうが、このイカ!」と、鬼男に頬を引っ叩かれた。閻魔は瞳を瞬いて、瞳に泪をいっぱい溜めて、耳まで真っ赤になって、肩で息をする鬼男を見る。それから込み上げてくる笑い出したいその衝動のまま、閻魔は鬼男を机の上に押し倒して縫い付けた。開かれたままであったいくつかの巻す本が、床の上に転げ落ちて行く。その内のどれかが閻魔帳であった筈だが、閻魔はさして気にも留めなかった。そんなものよりも、真直ぐ見上げてくる鬼男の飴色の瞳から目を離せない。
閻魔は問いかけてその美しい飴色を舐めた。鬼男は身体をひくりと震わせる。
閻魔の細くて長い指が、鬼男の浮き出た鎖骨をつうとなぞった。ぞくり。ぞくり。泡立つ肌の感覚に鬼男は融けてゆく。否、まだ。まだだ。耐えるように唇を噛む。その様子を見やって、閻魔は三白眼を細める。鬼男の褐色の肌が次第に赤みを帯びて行く。ああ、美味しそう。閻魔は鬼男の片方の脚を起こした。ずれ落ちた着物の裾に隠れていた筈の膝裏を、やはりねとりと舐めると脚はつま先まで真直ぐにぴんと立った。ふとももまで舌でなぞると、瑞々しい香りが閻魔の鼻を擽る。
「ねえ、本当に、なんでも、赦してくれるの?」
上目で請う閻魔の姿はまるで幼子のように稚い。鬼男はそれが愛らしくて堪らなかった。ぎゅうと胸を締め付けられる。なんでも。なんでも赦してあげる。なんでも、なにをされたって。あなたのことならば。
「余す無くことなく全て、赦して差し上げます」
閻魔の内に込み上げてくるものはまさしく歓喜だった。鬼男の胸に今にも震えそうな掌を這わせて、着物の合わせ目に引っ掛ける。すうと一文字を縦に書くと、容易に鬼男の身体は暴かれた。閻魔の漆黒の瞳から泪が一粒落ちる。それは鬼男の露わになった胸に落ちて流れた。
(2010.07.12)