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さよなら、もう会うことはないよ

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「Hey,いい加減に屈服したらどうだい?」
黒曜石のような、アジア人特有の目が反抗的に見上げてきた。
女の子に見える華奢な体はきっともう使い物にならない。俺が壊してしまったから。
彼の仲間は全部沈めてやった。俺たちを畜生扱いして、圧倒的な差を目の前にしても諦めなくて、俺たち正義に逆らうから。何時だって正しいのは俺たちだっていうのに。
だから彼は独りきりで、頼りなんてないはずなのに、なぜか屈服だけはしなかった。それもジャパニーズのプライドかよと毒づきたくなった回数は、もう片手の指の数では足りない。
 膝を曲げて、目線を合わせるようにゼロの目の前に座った。
「アンタらのだぁいすきなキングは俺らに下ったんだよ。知ってるだろ」
なぁ、と襟元を掴み上げて、揺すった。力なくゼロの体が揺れた。死んでるみたいだ。
 どうしていつもみたいに、自慢のカタナを抜かないの?その身軽な体で俺を翻弄して見せてよ。
無茶なことを言って、既に力は無いくせに未だに危険な光だけは宿らせた目を覗き込んだ。あぁこの目だ、と俺は少し嬉しくなる。こんな時でも変わらない、いつだって俺を楽しませてくれる最高の玩具。
あの空でこの目を見たら、背筋に電気が走ったみたいになって、本能の恐怖と高揚感とでぐちゃぐちゃになった頭は戦うことしか見えなくなる。そんな、自分が自分じゃいられなくなる感覚を何度も覚えた。俺はあの瞬間の為だけに生まれて、何度も何度も空を飛んだ。
 「アンタらは本当に諦めが悪いね。もう終わったんだよ。終わったの。わかる?もういいんだよ、ゼロ」
 ね?と猫なで声で首を傾げて見せると、ゼロの口元が息を吸うように動いて、俺は思わず童顔を見つめた。まさか俺に何か言おうとするとは思わなかった。例えそれが罵詈雑言の類であっても。
 「なに?…降伏します、って?」
冗談めかすことくらいしか出来ないくらい面食らって、片頬を引き攣らせたまま何とかそう言うと、眉を吊り上げた表情でゼロは何度も首を振った。それが示すのは解りやすい否定だ。弱々しい動作ではあったけれど、強い意志で以ってなされた拒絶に、俺は少なからず苛立った。
 何度言っても言葉が解されないことに、ゼロも苛立っているらしい。険しい表情でもう一度同じ言葉を繰り返したようだった。けれど声の無い言葉を拾うのは思うより難しくて、眉を顰める。
「…わかんないや」
終いには諦めて呟いた。ゼロは俺を睨んで、もう一度ゆっくりと繰り返してくれたけれど、それでも俺にはわからなかった。そういえば、ゼロの言葉がわかるのはヴァルだけだと聞いたことがある。そのヴァルは、もういないけど。
 「俺はヴァルじゃないからさ」 
だからもうゼロの言葉を理解してやれる奴はいないよ。お前の大好きな奴らはみんな。
可哀相に、ね。
わざと意地悪く言ってやると、表情に乏しいゼロの顔がひどく歪んだ。悲壮なくらいの表情だった。
 その変化に気付かない振りをして、掴み上げたままの童顔に顔を寄せる。
「そうだ、喋れるようにしてあげるよ?このままだと不便だもんねぇ。君が俺にyesと頷いてくれたら、だけど」
言いながら、艶のある黒髪を撫でた。ジャパニーズの髪や肌は本当にきれいだ。オンナノコたちが羨んでいたのを思い出す。俺は男だからその時はよく解らなかったけど、確かにこれは羨望の的になるに違いない。
 ゼロは俺の手を鬱陶しそうにして、また何か口を動かした。やっぱり意味は解らない。無表情な日本人にさえ無表情といわれるゼロの表情から察することは難しいし、唇の動きだけでわかろうとするにも日本語は難しい。ヴァルしか出来なかったのだから、異人である俺が出来なくても無理はないことだ。
 だからわからないってば、と唇を尖らせて見せる。何故だか苛々した。
 「ねぇ、いいだろ?今首を縦に振るだけで、アンタは生き延びられるし、声も手に入る。断る理由が何処にあるの?俺なら迷わないと思うけど。ゼロはもう、ニホンに要らないんだしね?」
だから悪意がなかったといえば嘘になる。悪意は少なからずあった。
 ゼロは血相を変えて、何処にそんな余力がと驚くほどの俊敏さで跳ね起きた。
驚くような間もなく瞬きをひとつする間に、彼は俺の手にあった銃を叩き落し、コルトガバメントを素早く奪って後方へ飛び退った。
「…流石」
打たれた右手をひらひら振って、俺は小さく口笛を吹く。
 ただそれだけの動きで肩で息をするゼロを見下ろした。銃を奪われたって、負けるような気がしないから不思議だ。あのゼロが相手なのに。実際、これだけ血を流し疲弊した彼に負ける道理など無いのだけど。
 俺を鋭く睨みつけて、もう動けそうもないくせに勇敢にも銃を突きつけてくるゼロに、両手を広げて肩を竦めた。
「でも、無駄だって。まだわかんない?終わったんだってば。君らの"聖戦"はさ」
それとも君独りで勝つつもりなの?と哂ってやった。彼らが得意な精神論も、ここまでくるとクレイジーとしか言いようがない。どこまでも救えない、馬鹿な奴ら!
 『そんなことわかってる』
呟くようにまた何か言って、ゼロのいつだって真っ直ぐだった目が初めて揺らいだ。揺らいで、あの、どんな場面でも失われなかった光が、消えた。
 同時に俺に向いた銃口が僅かにぶれる。ゼロは力の抜けた動作で、その銃を下ろした。
今度こそ降参するの?と目を細めた俺は、コルトガバメントを側頭部に押し付けたゼロに頭を真っ白にして。
 『だから俺は、――此処で終わりだ』
伏せられていた目が俺を見上げて。ゼロはこんな場面でいやに嬉しそうに何かを言った。いつも朴訥とした表情のゼロが唯一見せた、笑顔と呼べそうな顔だった。ただそれだけが俺の目に焼きついた。止める間もなかった。
 何を言ったか、なんて考えるまでもなく、きっとあの言葉。どうせわからなくても、唇の動きを終えなかった。あの、俺が撃墜させてきたジャパニーズが最期に決まって叫ぶ言葉を言うゼロなんか見たくないと思った。ゼロにあんな言葉は似合わないから。あの強くて美しかったゼロが、誰かの為にと死んでいくなんて。そんなの。そんなのは、見たくない。
 ゼロは俺の愛銃でその小さな頭を自ら撃ち抜いた。ジャパニーズって奴は本当に自決が好きだ。それもプライドかよ、と頬を引き攣らせて笑う。あぁ、どんな顔をすればいいんだ?
ゆらりと傾いた体を受け止めたときに、何故だかゼロが笑った気がして、俺は顔が自然に歪むのを感じた。
 それから温かい血が顔に服にかかって、嗅ぎ慣れた臭いが鼻を掠めた。
長かった戦争は終わって、この臭いとは遠ざかる時が来たのだと今更実感を得る。平和な日には、似合わない臭いだ。
 「…そっか」
独りで呟いて、あまりにも薄い体を抱き締める。脱力した体は不自然に重たかったけれど、まだ温かくて硬直もしていない体は生きているのと大した違いはないように思えた。
「俺はそれでも、よかったんだけどね…」
こんな体の君でも、時代に取り残される君でも、もう用無しの君でも。
彼に話しかけるよう、ずっと奥底にあった言葉を溜息と一緒に吐き出した。
「そこにいてくれる君なら、何でもさぁ」

――だからまた俺と遊んでよ、ねぇ。
ねぇ、ゼロ。