冬眠図書館
すみません、シチューは、今丁度煮込んでるところなんです。今日は特別に寒いから皆さんが食べに来て、最初に仕込んだ分は品切れになってしまいました。
どうしてもお腹すきました?じゃあ、ちょっと待ってください。今、コッペパン当番の彼がパンを置いて行ったから、それでも食べて。コーヒーはコーヒー当番がちょっとだけ作り置いたやつがある、と。少し冷めてるかもしれませんが、よければどうぞ。砂糖やミルクが要るなら、そこにあります。
待ってる間に、僕の話をするんですか?いいですけど、別に面白いことはありませんよ。
知ってると思いますけど、この冬眠図書館は、春夏秋の間に汗を流していっぱい働いて、そうして読みたい本を溜め込んだ人たちが本を持ち寄って、冬眠するように篭って本を読むところですよね。
冬眠には暖かいシチューと、素朴なパンをつけて。ブランケットをかけて、遠く梟がぼんやりと啼く森のバルコニーで、月明かりの下で気に入った本を読む。ポットには香ばしいコーヒー。凍ったみたいな星と冷たく頬を刺す空気とぬくぬくしたブランケット。最高だと思います。ええ、大人気ですよ。そりゃもう。
そしたら、元から居た司書さんたちが忙しすぎて本を読む暇がなくなってしまったんです。コッペパンなんて、近所の奥さん方が買いにくるんですよ。パン屋じゃないのに。
だから、お客だった僕たちが…あ、コッペパン当番の彼は僕の仕事仲間なんです。あのいつもエプロンしている、もじゃーっとした人ですよ。以前は、二人そろって図書館の常連で、交代制にしたい、と言われたときにそろって応募したわけです。コッペパン当番君は何か捏ねてるのが好きみたいでね。なら、僕はシチューにしようかな、と。
何故って、ちょっとやってみたかったんで。シチューを作りながら冬眠、というのもなかなかいいと思いませんか。
シチューを作るのに、面倒な手間はかけません。技術なんて持ってないし、特別な材料を使ったりもしません。僕が、そこのスーパーで買って来ただけのものです。ルーも市販のものを使っています。野菜は、時々、そのときに安かったものがプラスされたりします。あ、ブロッコリー美味しかったですか?それはよかった。
もともと、料理人でもなんでもなかった人たちのやる交代制ですからね、誰でもだいたい同じ味が出せるようなものにしないと。この辺に住んでる奥さん方が作るのと、多分何も変わりませんよ。
ただ、冬眠中ですので、時間はあります。コトコト、コトコト。時間をかけて、じっくり煮込みます。暖かい湯気が生き物みたいに換気扇に吸い込まれて行って、あぶくが溶岩のようにぽこぽこと出てきて、シチューの香りが漂う。そこに、コッペパン当番の焼くパンの香りが混ざって、そこにまるで音楽のように、コーヒーの香りが細く漂ってるのが感じられる。
そもそも、本を読むためにここに来ていたのです。本を読んで、集中して考えるためにね。でも、シチュー当番になって解ったのですが、こうしてシチューを煮ている間はとても考え事に集中できます。春夏秋、とやってきた仕事のこと、春になって冬眠から目覚めたらやろうと思っていること。
でも、僕の冬は冬眠するためにあるのですから、何かに書き起こしたり、そこでいきなりメールを打ち出す、なんて野暮なことしませんよ。仕事のアイディアも、この世界についてちょっと思いついたことも、僕の中で眠っています。ね、そういうと、種みたいでしょう。冬の間雪の下で眠っている種。
あ、ちょっと待ってください。アクを掬わないと。こういう丹念な仕事が…とか言うつもりはないです。冬眠中なので時間があるってだけの話なんですから。シチュー当番なので、シチューのことにだけ専念できる、というだけのこと。
アクを取ったり、お客の相手をしたり、それなりに忙しいじゃないかって?アイディアも、種も忘れて発芽しなかったり?それならそれでいいじゃないですか。多分、そういうもの、忘れてしまったつもりでもずっと地中に眠っているんです。それで、何かの拍子に発芽するかもしれない。しないかもしれない。でも、確かに土の中にあることは間違いないんですよ。
もう少ししたら、僕もまたお客に戻ります。ブランケットに包まって、シチューにパンを浸して味わいながら、溜めておいた本を読んで、コーヒーを一口。
そしたら、春が来るでしょう。この図書館も閉じて、冬眠も終わりです。
そしたら、また一年後、冬にお会いしましょう。