リンゴと懺悔
国の要人であるだけあって、部屋は大きいようで、辺りにも人はいない。『本田』という名札を見て、深呼吸をする。控えめなノックをして、そっと簡素な扉を開けると奥に置かれたベッド、その真っ白な布団の中に恋人の黒髪が見えた。窓のほうを向いているので寝ているのか判別がつかないが、入口で扉を開いた体制のまま固まっているとぷす、と笑う声が聞こえた。
「そんなところに突っ立っていないで、入ってきてください」
こちらを向いて言った彼本来の艶やかなしっとりとした声はわずかに掠れて、声を出すのもつらそうな印象を受けた。そろりそろりとできるだけブーツが音を立てないようにベッドの脇まで行く。
「・・・・なんて顔してるんですか」
やはり掠れた声で、苦笑いを湛えて彼が言う。どんな顔をしているのだろう。昔から身内には表情が隠せない方だからきっと、今の感情がそのまま出ているのかもしれない。形容しがたい感情、色々なものがない交ぜになってどの思いも自分が一番だと主張するような。
「・・見舞い。リンゴ、買ってきたんだ。すぐそこでだけど・・・、食えるか?」
「丁度よかった。この間、ようやく固形を食べられるようになったんです」
この時期はリンゴが旬ですからね、とうれしそうに言う。内臓破裂という噂は嘘じゃなかったらしい。勝手に眉間に皺が寄るのがわかる。
「うふふ、白々しく言ったのに怒ってます?少しくらい言わせてください。最近あんまり話してないんですから」
「は?見舞いとか・・・」
「だから、恋人が来てくれて私今すごく嬉しいんです。ほっぺゆるゆるしてますから」
「・・・リンゴ、剥くか」
「ええ、お願いします」
頬が熱くてしょうがないのを誤魔化そうとビニール袋を持って席を立った。リンゴを洗う水に触れると少し頭が冷える。自分は、ここに何をしにきたのだったかを。その辺にあったフルーツナイフでするすると皮を剥くと透明の美味しそうな蜜が見えた。
「こちらにはどうして?いつまでいるんです?」
「・・・日本に来たのは、お前の見舞いのためだ。休暇もそんなねえからすぐ戻る」
「おや、照れますね。ありがとうございます」
背を向けている所為で顔は見えないが、声色から思うに、きっと本当に照れているのだろう。ざらりとした白い果肉を皿に乗せてベッド脇の椅子に座る。
「・・・ギルベルト君?どうしたんですか、思いつめた顔をして・・・」
「菊、・・・俺、お前のことまだよくわかんねえ。でも、こういうとき、あからさまに嫌な顔ができねえってのは知ってる」
「は?なにを・・」
「イタちゃんのとこは・・まあある種しょうがねえけど、本当はルッツも連れて来るべきだったんだ。ごめんな」
「・・・なんのことですか」
珍しく神妙な俺の態度に、アイツも話の内容を悟ったらしい。穏やかに笑っていたその顔は、今は険しい。
「最後、何ヶ月か、お前一人に枢軸全部を背負わせて戦わせちまった。しかも、8月にはあんな・・・・。本当に申し訳ない」
「・・・ふふ」
「?」
珍しく真面目に謝ったら、予想、てっきり真面目な声色で返事するもんだと思ってたのが、ふふ、という笑い声。全力で怪しんで菊の顔を見れば、堪えきれないように漏れた、苦笑い。そこでふと辺りを見回すと、質素なものだと思っていた室内は案外賑わっていて。まず、菊の枕のすぐ上の壁には見事な油絵、右下にロヴィ&フェリとサインがあるようなないような。ベッドから少し離れたところにあるサイドチェストには焼き菓子と盛大な花、どっかで見たメーカーの紅茶の瓶にまたどっかで見たメーカーのワイン。隅っこに畳んでおいてあるのは多分きっと空気を読まない星条旗。ベッドに渡してあるテーブルには万年筆、ちなみにメイドインジャーマニー。彼をそろりと見ると非常に困った顔をしていた。ぽろりと素直な感想が漏れる。
「誕生日かよ!!」
「ギルベルト君、」
「お、おう」
「暫定、最下位ですよ」
「・・・・・は?」
「終わって2週間くらいでしたか、それくらいの頃に、フェリシアーノ君とロヴィーノ君が。丁度、貴方が今いるところでベソ掻いてました」
「・・うん」
「そこから1週間、ローデリヒさんとエリザベータさんが。綺麗なお花と、長持ちするようにとメレンゲを焼いたものを」
「・・・・・」
「更に2週間、処置が決まっていささか落ち込み気味の、貴方の弟君がいらっしゃって。土下座でもしそうな勢いでした」
「ああ・・・そか」
「それから、」
「1ヵ月後に俺、か?」
「いえ。その後1週間の間に別々にアーサーさんとフランシスさんとアルフレッドさんがいらっしゃいました」
申し訳なさ半分、つらつらと告げられて出る言葉は一つだ。ただの師弟だったならからりと笑って誤魔化せたのだろうけど、生憎俺はコイツの恋人だ。
「・・・・・・ごめん」
「お気になさらず。結果的に最下位でも・・・きっと、貴方は誰より早く来てくれたのだと信じてますから」
少し不可解な言葉に俯けていた顔を上げると、大怪我で、白い頬にも派手ガーゼを貼って、眼帯からもガーゼがはみ出して、額にも包帯を巻いて。点滴をしながら左腕もギプスで固定されていて、きっと布団を捲ればもっと酷いだろうけれど、穏やかに笑う恋人がいて。言葉を促すつもりでじぃと思わず見てしまう。
「貴方にとっては、一番早く来てくれたのでしょう?」
「? ああ、俺は確かに最初の休暇だけどよ・・。お前のことすげえ心配だったからな」
「じゃあ・・休暇の日数も自分の疲労も省みず、最初にここに来てくれた貴方が、やっぱり一等賞ですね」
にこりと笑った彼の意図もその言い様の出典もようやくわかって自然と顔がほころぶ。自然にケセ、と喉が鳴った。
「まあ、残り少ない体力をお前に捧げて来ただけはあるな」
「あら、そうですか?」
「全財産を主に捧げたやもめの女が主の加護を受けるように、俺もお前に会って、ここまでの疲れなんか吹っ飛んだ。オマケにさらにお前が大好きになった」
「おやおや、言葉にしてくるなんて珍しい。私も貴方のこと大好きですよ」
ゆるりと笑った顔を見る、ふわふわとした心地よさに誘われて身を屈める。動けないアイツはふ、と目を閉じただけだったけれど、触れた個所は暖かくてまだまだ彼は生きているのだと確信できた。ツンとした消毒液の匂いが鼻腔をくすぐる中で何度も啄ばむようにキスをした。
今日は甘えん坊ですね、と彼が笑う。動かないものだと信じ込んでいた右腕がそろりと上がって俺の頭をくしゃりと撫ぜる。その勘違いやら揶揄されたのが気恥ずかしくて、サイドチェストにおいてあるリンゴをフォークで刺して思い切り口に突っ込んでやった。