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西日

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こんな所で、俺は、一体何をしているんだろうか。



ふいに一瞬冷静になった思考がまた深く突き上げられて吹き飛びそうになる。
暑さや熱でぼんやりとしながらも感覚をはっきりさせようと伸ばした手が畳にざりっと触れる。おかしいな、布団を敷く位の余裕はあったんだが、とちらっと目をやれば体はもう布団など飛び出し、ざりざりとする畳に押し付けられている。それでもそう痛くはないのは情け程度に羽織ったシャツのせいか。


夕暮れの西日が強く部屋に差し込む。
本棚に置かれた本の背表紙が日に日に色あせていくようだ。畳の傷みが早いのもこの日のせいだろう。部屋を変えたらどうか、と何度か言ったがこの人はそんな事など気にしないという。前線から退いているとはいえ、下女の一人もいる家なり部屋なり用意するだけの金はあるだろうに、とも思うが確かに、どうせいつも海の上だ。爆発するように油蝉が耳障りな羽音を響かせ、暑さやその羽音で気が狂うような、宙に浮かぶような歪な空間に飲み込まれていく。


足元のない不確かなものを掴もうともがくようだ。



「どうした?」
「・・・んっ?」
「気もそぞろだ」

そう言いながら悪戯でもする子供のようににやりと笑い、強引に突き上げられれば意識が飛ぶように浮つき、それでも手を伸ばしてロクに剃刀も当てぬ頬に手を伸ばす。


「小娘じゃないんだ。なら何も考えられるようにしてくれれば良い」









女は面倒だ、とふいに堀田さんが呟いた。
そんな事を言うのは俺の台詞みたいなものだろう、と少し意外に思ってぎょっと堀田さんを見返したけれど、堀田さんはいつもの無骨ながら人好きのする、しかし何を考えているのだか読めない顔をして湯豆腐を箸で崩していく。醤油と酒と鰹節、それから生姜のたっぷりと入った湯のみが鍋の中でぐつぐつとふるえ、堀田さんがその大きな豆腐で箸でほろほろと崩していくのを眺めながら、面倒、と呟き返す。溜息のように呟いた声は、下町の大衆居酒屋の声に掻き消されて届かないだろうと思ったが、その耳には届いていたらしい。

「そう、面倒だ。後先が面倒だ」
「後先、ですか」

それっきり堀田さんはむっつりと黙って箸で白い豆腐をほろほろと崩していく。
子供が戯れにするような様子を、俺はなんとなく見守る。面倒、か。わかるような気もしたが、俺の面倒と堀田さんの面倒では面倒の方向が違うかもしれない。今より若い青臭い下士官だった頃、酒の席で上官に言われた事があった。お前は女にモテるが面倒だと使い捨てるような男だろうな、と。しかしそういう所に女が依ってきちまうんだ、と。上官の言葉は正しかったようで、どうも俺は女好きのする人間らしい。それがどうなってしまったのか、今はこうして男と湯豆腐をつついている事になってしまったが・・・。


「堀田さんは、インチ(馴染みの芸者)は持たないんですか?」
「さあ、どうだろうな。時期がくればそうなるかもしれない。でも俺なんかより若い奴の方がいいだろうさ」
「時期というのは?」
「さぁ、めぐり合わせみたいなものだろう」
「めぐりあわせ・・・」

これ以上は無駄だと判断して堀田さんがほろほろと崩していった湯豆腐に箸を伸ばす。
豆腐のかけらを箸てつまみ、醤油と酒、生姜の煮えたくった湯のみに浸して口へと運ぶ。熱いほどの豆腐が醤油や酒や生姜でぴりりと味付けがされていてさすがに旨い。しばらくは二人で無言で湯豆腐をつつき、堀田さんは舐めるようにちびりちびりと熱燗を飲む。頭上で油じみた汚い扇風機が酒や料理やタバコや汗のすえた臭いの混じった生ぬるい空気をかき回していく。


堀田さんはランニング一枚でこの大衆居酒屋に馴染んでいるが、俺は仮にも帝国軍人としての矜持ゆえに詰襟のシャツを着てきたせいか、日雇いの労働者らしい男らに目を向けられる。プロレタリアの羨望の混じったような目線はなかなか気分が良い。だが額にじんわりと汗を帯びる。何故こうも蒸し暑い夜に湯豆腐なんてつついているのか気が知れない。ぬるく薄い酒を流し込みながら、これならレス(料亭)の酒の方がまだずっと良いものを出しただろうに、と内心で眉を寄せる。すると俺の腹がわかったのか堀田さんはわずかに表情をほころばせる。


「ここらの酒はな、田舎の地酒が流れてくるのさ。それを水で薄めたやつが出回る。金魚が泳げるほど薄い、金魚酒だ」

そんな情けないことを嬉しそうに言った堀田さんに構わずその金魚酒をぐいっと煽る。まるで水でも流し込んでいるようだが、まさか茶や湯を飲むよりはよっぽど良い。熱燗の方がまだ酒の濃度が濃かったのかもしれない。だが酔えないというのは辛いような気がした。



「・・・男は、面倒ではないんですか?」
ぬるく薄い酒を飲んだ不快感に自然と漏れた溜息と一緒に、腹の底に飲み込んだはずの言葉が漏れ出て内心でひどく狼狽した。それを隠すように淡々と湯豆腐に箸を伸ばす。味がわからないような気がしたが、隣で堀田さんは黙りこくったかと思うと宙を仰いで「まぁ、あれだな・・・」と歯切れも悪くそのような事を何度か呟いた。
「まぁ、あれですからね」
「まぁ、あれなんだろう」
それから白熱電球の下で無言で湯豆腐をつつきまわし、塩らっきょうやら魚の干物をつつきまわしながら、そういえばこの男は暑さや熱というもの感覚がおかしいんだった、と思い出した。






あつい、ともらした俺の目を覗き込むようにして、堀田さんはあついか、と微笑んだ。
こんな蒸し風呂のような中で、気だるい疲労感や睡魔のようなやわやわとしたものと共にぐったりと横になりながら、俺は頷いた。西日が差し込んでいたと思ったが、もうそれはすっかり前の事で部屋はひっそりと薄暗く先ほどよりかはいくらか夜風が入り込み、遠くで馬鹿犬が吼える声だの社会を知らぬ虫が遠くで羽音を立てているような音ばかりが届く。じっとりと額に浮かんだ汗は、なにもさっきの戯ればかりではない。海上の方がまだ涼しいだろう、むしむしと首を絞められるような暑さに水がのみたいと思ったが口に出すのすら億劫で、畳の少しひんやりとした場に腕を伸ばしで古い木目の天井を見上げる。


「俺はもう暑さなんてわからん」


嫌味か、と眉を寄せた俺に堀田さんは笑って身を起こし、くしゃくしゃになったスラックスから更にくしゃくしゃになった誉(煙草)を取り出して火をつけ、惜しむようにじっと深く吸い込み、また渋るようにゆっくりと吐き出した。薄く青いような灰色の闇に覆われていた天井に、白く煙が浮かび、鼻先に誉の埃っぽいような匂いが届いた。
「潜水艦の中はな、狭い上に蒸し暑い。人間サマより機械サマで設計されてるからな。若い時分は気も狂いそうになった事もなったが、なれてしまえばむしろ居心地が良い。そのうちに暑さなんて忘れてしまった」
「陸に揚がれば・・・」
「陸でやる事もない」
「私が帰ってきます」
一瞬堀田さんの目が大きくなったが、すぐにまるで子供の頭でも撫でるように俺の頭を戯れに撫でた。








それから今も、熱に取り付かれたままだった。
作品名:西日 作家名:山田