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漁夫の利

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ぽかぽかと縁側をあたためる日差しを受けつつ、二人は欠伸を漏らした。

「あー、暇だ。どっかに太子の死体とか落ちてないかな」

「嫌な発想するな来目。本当になったらどうする」

「心配?」

「まさか」

冷めた目で吐き捨てる様子を見ると、その心持ちも誠なのだろう。
どうせ、こいつの事だ。気持ち悪いからとか、臭いからとか、そんな理由からだろう。

「お前って、どうあがいても、お前だな」

「意味が分からん」

「小野とはちげえって事だよ。ほら、あいつなら何か無駄に心配しそうじゃん」

「あの馬鹿と同じにするな」

心外だと云わんばかりに、これでもかと殖栗が眉を寄せる。まあ、それも頷けない事もない。
朝廷きっての馬鹿おしどりと比べられては、誰でもこの様な反応を返すだろう。

始めのうちは、一々におしどりという言葉を撤回していた妹子も、ここ最近は認めたのだろうか言い返しもしなくなった。弟達から見ても、魅力の片鱗もみえぬ兄に、あれほど心酔する彼の存在はもはや怪奇現象だ。あれさえ無ければ、真面目で優秀で、快活で人当たりの良い好青年であるのに、人生何処で誤ったのか。

「そういや、今日はあいつらの声が聞こえんな。心なしか景色の輝きがえもいわれぬものに感じる」

「お前の人生はそんなに曇ってるのか…」

殖栗の晴れ晴れとした表情に呆れた様に首を振った時、ぱたぱたと小さな足音が響いて来た。
ハッと二人は顔を引き締め姿勢を直し、その持ち主が現れるのを静かに待つ。
二人の姿を見つけた其れは、紅く頬を上気させながらなんとも愛らしい笑みを浮かべて駆けよって来た。

「兄様!!」

キリリとした顔を崩さず、内心では転ばぬかひやひやしながら二人は彼を待った。
ようやく傍に寄った彼を、来目は優しく抱きあげ優雅に微笑んだ。

「どうしたんだい、茨田?」

やたらに整った顔を近付けられ、とろけるような甘い声に茨田は顔を紅くする。
先程とはまるで別人の様な変わりようだが、此処では見慣れた物なのだろう。
役人達もまたか、と苦笑してはそのまま通り過ぎてゆく。

「あ、兄様。私は童ではありません。お離し下され、皆が笑うておりますれば」

「なに、髪が少し乱れてるのを直してるだけだよ。少しお転婆が過ぎたのではないか?」

「も、申し訳ありません」

(なに、この可愛い生物)

(来目、早く代われ。殺すぞ)

(俺、今抱いたばっかなんだけど。お前が死ね)

(てめえばっか、いい思いすんじゃねえよ。おしどり押し付けんぞ)

にこりと麗しく微笑みながら、内心は罵詈雑言の応酬だ。
幸いか、眼だけで会話している様は茨田には全く分からないらしい。

「あ、そうだ兄様!」

「「なんだ?」」

くるり、と瞬時に茨田専用に艶やかに微笑んだ二人は流石であるが、次の言葉には耐えきれなかった。

「山背様と曲水の宴に出ても構いませぬか? 唄えずとも、お傍にいても良いとの言葉を頂きました!」

二人は固まった笑みのまま、そ、と茨田の耳を塞ぐ。

「なあ、来目。俺さ、そろそろ消した方がいいと思うんだ」

「ああ奇遇だな。俺もだ」

何が、なんて愚問だ。

「どうする」

「まずは、宴を諦めさせるか」

よし、と二人の意見が一致した、その時。二人にとって、悪魔の声が響く。

「おー、茨田じゃないか。久しぶりだなあ」

((なんか、馬鹿来た!!))

再度、二人の心は一つになった。

「太子兄様!!」

茨田は、ぴょん、と来目の膝から飛び降りると溢れんばかりの笑みで彼に抱きついた。
小さな彼に押されつつも、なんとか其の身体を受け止めると、抱え上げて目線を合わせる。
ぐりぐりと嬉しそうに頭を擦りつける様は、まるで仔猫の様に愛らしい。
羨ましい、この糞が、というマイナス感情ばかりが彼に向けられるが、いいのか悪いのか彼が気付く素振りもない。人の気配に敏感な彼にしては珍しい、と二人は軽く首をかしげる。

「よせよせ、くすぐったいぞ」

「えへへ。あ、そうだ兄様! 今、兄様にお願いしたい事があったのです」

「ん? 何だ? 何でも言ってみろ」

(やめんかい! 阿呆!)

「山背様とお出かけしてもいいでしょうか?」

何故、そこで可愛くねだるんだ茨田! 俺らには、もっと固かったのに!

「ああ、いいぞいいぞ~! 楽しんで来い!」

何処に行くかくらい聞かんかい、このボケ!

「兄様ありがとう! 大好き!」

「私も茨田が大好きだぞ~」

結局、こうなるのだ。努力をする暇もなく撃沈された山背暗殺計画に、二人は肩を落とす。
そんな彼等を余所に、二人は未だ抱き合って未だ親子の様に戯れている。

「ああ、そうだ。茨田」

まるで、あたかも今思い出したばかりだと云わん声で太子が茨田の名を呼んだ。

「はい」

丸いまなこが太子を真っ直ぐに見つめ、縁側で二人も何かと顔を向ける。

「山背には、あまり度が過ぎるといけないよ、と言っておいてくれないか?」

その言葉に、殖栗と来目はまさか、と背筋を凍らせ始める。

「何をです?」

よく分からない、と小首をかしげる彼に太子は優しく微笑み、その鳶色を梳く。

「山背がよく私の大切な茶器を持って行ってしまうんだよ。大事にしてるから、あまり」

話しつつ太子が、チラと二人と目を合わせ茨田の死角で口角を上げた。

「手を出して欲しくないんだ、とね」

真っ青になり、だらだらと冷や汗を噴き出す彼等の着物は既に色が変色し始めている。
さすがに異変に気付いた茨田が太子に不安げな目線を寄こした。

「太子兄様…来目兄様と殖栗兄様が……」

「二人は今、ダイエットをしているらしいぞ」

「だいえっと?」

「己を苦しめながら、贅肉と言う化け物を退治しているんだ」

「すごい! 兄様達はそんな苦行をなされていたのですか!」

何がすごいのかは分からぬものの、よくお伽話に聞く退治という行為を兄等がしているかと思えば何とも誇らしい気分になった。

「そうそう。だから、しばらく離れてやってくれないか。茨田がいては、お前の優しさに甘えてしまうそうだ」

誰が、そんなことを言った。と心は叫ぶが。
死刑宣告をなされているというのに、言の葉ひとつ口に出せない二人は目尻を濡らす。
気付いて茨田。お前がいなくなったら、俺達死んじゃうんだって。
心からの救いを求める声も、目の前の悪魔が更に追い打ちをかけて打ち捨てた。

「茨田も、少し来目等と離れた方が良いかもしれないぞ。元服間近の男が縋ってばかりでは面も立たない」

「それは、誠に…稚拙な行い、どうぞお許しを」

「そ…そんな事…」
「ま、茨田…」

「じゃあ、茨田はあっちで遊ぼうか! そうだ、久しく妹子にも会ってないだろう」

「妹子様ですか!? お会いしたいです!」

一瞬前までの暗い顔なんて、どこへやら。子供の興味は、兄から彼の部下へと移ったらしい。
おそらく頭の中には、既に兄達の事は残っていまい。

「妹子も喜ぶぞ~」

うきうきと彼を肩に乗せながら遠ざかって行く二人の背に、ついに目尻の涙が頬を伝った。

「なあ……何が悪かったんだと思う? 茨田取られたし、会うなって声がきこえたんだけど…」

「俺も聞こえた…」
作品名:漁夫の利 作家名:アルミ缶